木曜日

過去から今 1 (平成編)

 

令和年のホール数激減は、過去の事例とも

重なることが多い。

「規制」と「緩和」の繰り返しは、

業界の背負う、「カルマ=業」のようなものだ。


遊技台の法的規制のため、自主的、強制的に

買い替えるか、減台するかは過去、パチスロ

号機撤去の時もあった。

当時も、半年1年かけて、わざわざ使えない、

利益の出ない、5号機に替えていった。


その前の1990年代は、第1次から第4次に

渡ってのパチンコ機のすべての現金機撤去もあった。


だが、当時はまだホールも余力があった。

しかし、今回は昨年からの「コロナ禍」の影響も

大きく、社会全体の経済活動が停滞していく中での

多大な遊技機の交換は、4号機撤去の時とは異なり、

さすがに多くの中小ホールは余力も尽き、

事業継続の意欲が、なくなりつつある。

費用対効果のない許認可の延命のためだけの

無駄な設備投資には、ついていけなくなった。


メーカーの機械作りもマンネリ化し、

遊技客のパチンコ離れが加速したこともある。

資金力のある店舗と老舗の弱小店舗との

益々の格差が進んだことも、そうだろう。

そして何よりも機械代の高騰4050万円/台)

によりホールの利益率を上げざるを得なくなったことで、

負のスパイラルに陥ってしまった。


遊技客が負け続ける。

客数が減少していく。

ゆえに売上も減り続ける。

金銭投資の負担が大きくなりすぎて、

現在の低所得の時代に、遊興費が

追いつけなくなってしまったことだ。


さすがに依存症で破滅的な人生観の

人間でも、ついていけなくなった。


平成年に、全国18.000店舗だったのが、

9.000店舗に半減した。





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