平成4~5年ごろ、
CR機が出始めのころは、
内容的にも、たいしたことはなく、
設備面で費用が掛かるだけで、使い物にならないな、
と皆の評価だった。
行政側は「IN」と「OUT」の明確化、
「脱税予防」などの名目で、天下り企業を筆頭に
CR会社、CR遊技機の普及に躍起だった。
初期の認可機種から一変し、
西陣のCR機種などは、射幸性、ゲーム性が
急速に上がり、そこから、他各社も同様に足並みが揃い、
最初の不評から一気に、CRユニットの取り合いになった。
パチンコはやはり「射幸性」がないと
面白くないのだ。
このころのCR機は、その「射幸性」が高く、
当時、売上や集客数が低下していた遊技場の
カンフル剤になった。
しかし、カードが出始めた東のパッキー、
西のパニーカードの頃は、最初から
当時のテレフォンカードと同じ単純な
磁気カードで、テレカ同様の偽造カードが
出るのは当たり前で、業界でも当初から呆れていた。
しかも、全国共通カードの触れ込みで各店舗には
「受付機」なるものを強制的に購入させ、
あっという間に不正がまん延した。
この時、500億円以上の不正金が暴力団関係に
流れたようで、それらの負担は廻り回ってホールに。
そして、ホールから遊技客に。
誰もこの時の
「責任」を負わず放置してきた。
CRシステムが出る前から、
業界に在籍してきた視点から思うのは、
データの透明化が目的だったはずのCR化が、
庶民の身近な手軽な遊びだったはずの
「パチンコ」を、違うステージへ乗せてしまったことが、
現在の業界の低迷、没落へと繋がって
来ているのではないかと感じる。

写真素材 cg.foto
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