パチンコ店では、
店内で有線放送を流していた。
仕事の記憶はその時々の有線から
流れてくる流行歌で結びつく。
田舎から街中のパチンコ店へ転職当初は、
それまでの管理職から一転、平社員からの
スタートだった。
そこはかなりの繁盛店で、かつ人手不足のため
少人数で運営せざるを得ず、毎日終業時は
制服のシャツが汗でびしょ濡れだった。
仕事がきつかった。
島も長く(通常は15台から18台が基準)
そこは20台シマで1コース40台、
時間帯によっては2コース~3コースを
みなければいけない。
大箱(4000個)が主流の時代で重く、
計数機が端々にあり運ぶのに距離がある。
大箱を4~5個抱えて走り回った。
客筋も悪く、近所のやくざ上がりの不動産屋の
おっさんに「態度が悪い」と胸ぐらをつかまれ
何度も揉めた。
雨や雪が降るなか喫緊でもないのに、
びしょ濡れになりながら
他店統計(4か所小一時間かかる)へ
行かされたことも。
騒音、ざわめきとともに、
「渡良瀬川」がいつも流れていた。

写真素材 pro.foto
0 件のコメント:
コメントを投稿