火曜日

森高千里 (平成)

 

パチンコ店では、

店内で有線放送を流していた。

仕事の記憶はその時々の有線から

流れてくる流行歌で結びつく。

 

田舎から街中のパチンコ店へ転職当初は、

それまでの管理職から一転、平社員からの

スタートだった。

そこはかなりの繁盛店で、かつ人手不足のため

少人数で運営せざるを得ず、毎日終業時は

制服のシャツが汗でびしょ濡れだった。


仕事がきつかった。

島も長く(通常は15台から18台が基準)

そこは20台シマで1コース40台、

時間帯によっては2コース~3コースを

みなければいけない。

 

大箱(4000個)が主流の時代で重く、

計数機が端々にあり運ぶのに距離がある。

大箱を4~5個抱えて走り回った。

 

客筋も悪く、近所のやくざ上がりの不動産屋の

おっさんに「態度が悪い」と胸ぐらをつかまれ

何度も揉めた。

 

雨や雪が降るなか喫緊でもないのに、

びしょ濡れになりながら

他店統計(4か所小一時間かかる)へ

行かされたことも。


 煙草の煙と、遊技台のかしましい音や

騒音、ざわめきとともに、

「渡良瀬川」がいつも流れていた。

 この曲を聴くと胸が、甘酢っぱくなる。





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