建設当初、8年の償却予定
(8年も普通の商売からみたら短い)
が、それを3年で返済したのだから、ドル箱だった。
当時の機械代金が、1台あたり20万円前後だった。
当時は、まだまだ入れ替えの頻度も少なく、
ひと月に20台前後、入替するのが通常だった。
機械代は、20×20=400万ほど。
光熱費代は、120万前後か。
人件費が、500万前後。
ぼろ儲けだ。
その後、平成に入って、世の中のバブルがはじけても
パチンコバブルは続き、リーマンショックもなんのその。
不景気ほど「ギャンブルは強いぞ」と、業界人は嘯いた。
今回の Cobit19(新型コロナ)の絶望的な影響が
出るまで業界は、なんとかやって来た。
これからも、一部の業者は生き残って、
さらに肥大化するだろう。
機械の検定切れや、みなし機の強制撤去。
それ以前は、パチスロ4号機の撤去。
CR化のための現金機の自主的強制撤去。
過去は、検定3年、再認定3年、みなし機3年も
可能だった。
必ず「規制」の後は「緩和」された。
その時々の都合やさじ加減、様々な忖度の上で、
パチンコ業界は延命してきた。
法の規制もなく、野放図にやっていたなら、
「とうの昔」にパチンコは崩壊して
いたかもしれない。
「パチンコ」は、行政の圧力、許認可の枠の中でこそ、
発展したのだろう。
「釈迦の手」からは出れないように、
警察の「手のひら」からは飛び出せないのだ。

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