木曜日

原点 5 (平成編)

 

建設当初、年の償却予定

年も普通の商売からみたら短い)

が、それを年で返済したのだから、ドル箱だった。

当時の機械代金が、台あたり20万円前後だった。

当時は、まだまだ入れ替えの頻度も少なく、

ひと月に20台前後、入替するのが通常だった。


機械代は、20×20400万ほど。

光熱費代は、120万前後か。

人件費が、500万前後。

ぼろ儲けだ。

 

その後、平成に入って、世の中のバブルがはじけても

パチンコバブルは続き、リーマンショックもなんのその。

不景気ほど「ギャンブルは強いぞ」と、業界人は嘯いた。


今回の Cobit19(新型コロナ)の絶望的な影響が

出るまで業界は、なんとかやって来た。

これからも、一部の業者は生き残って、

さらに肥大化するだろう。


機械の検定切れや、みなし機の強制撤去。

それ以前は、パチスロ4号機の撤去。

CR化のための現金機の自主的強制撤去。

過去は、検定3年、再認定3年、みなし機3年も

可能だった。


必ず「規制」の後は「緩和」された。

その時々の都合やさじ加減、様々な忖度の上で、

パチンコ業界は延命してきた。


法の規制もなく、野放図にやっていたなら、

「とうの昔」にパチンコは崩壊して

いたかもしれない。


「パチンコ」は、行政の圧力、許認可の枠の中でこそ、

発展したのだろう。

「釈迦の手」からは出れないように、

警察の「手のひら」からは飛び出せないのだ。


 


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