木曜日

原点 4 (平成編)


まず、驚いたのは田舎のホールとは比較できない

集客数と売上だった。

当時は台数規制のある時代だったので、

大半のホールは300台までの台数制限があった。


地方では、日売りが400万程度が普通だった。

繁盛店では、台売上万円強くらい、

1千万の日売りがあれば上々、一流店だった。

 

私が、年間ホールから離れている間に、

一世を風靡した藤商事のアレジンが登場し、

射幸性の高い権利ものやフィーバーも活躍していた。

飛躍的にパチンコ店の売上が向上していた。

就任した店舗の台数は280台だったが、

売上平均が、1600万円前後あり、週末は、

2000万円の売上があった。


パチンコの売上は、貸玉金の売上なので、それが

そのまま粗利金ではないが、その店舗は利益率が、

売上(貸玉金)の20%ほどだった

店舗の一か月の売上金(貸玉金)は、

千万円ほど。

利益が、かける20%で、8.400万円から

9.000万円ほどの粗利回収金があった。


お盆や正月などの特別月は、億以上の粗利益があり、

まさに経営者は、笑いが止まらない時代だ。





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