月曜日


1993年(平成年)ごろ、当時借りて

いたマンションの近くにパチンコ屋があり、

遊びに来ていた親父と二人で千円ずつ、

冷やかし半分で打ちに行った。

 

ニューギンの「エキサイトジャック2」と

いう機種で、1/223の確率の保留玉

連チャン機だ。

 

二人並んで座り、千円ずつ投入。

私は回目の回転ですぐリーチがかかり、

すんなり大当たりとなった。

 

引きが良いのか当時は結構1~2回転で、

かかることもあり、百円で一発機を当てる

こともあった。

 

結果、1万円ちょっとのプラスになったので、

親父に1万円を小遣いで渡し、駅前で別れた。

 

2時間後、親父がまた来た。

1万円すったので、また貸してほしいとの事。

 

当時は田舎でのパチンコ店を辞め、妻が出産のため

市内へ引っ越してきたばかりで、金銭の余裕がなく、

私は強い口調で怒ってしまった。

その時の怒りを覚えながら目を伏せた父親が

そのあと不憫に思い、その後はけっこうな頻度で

小遣いを渡してしまった。

 

博打を打つ人間には、1万も10万も100万円も

一緒で、負ければ、すぐなくなってしまう。

「すっからかん」になり、よく車をかたにして

帰ってきていた。

 

享年69だったが、知人兄弟の中では、わが父は

嫁子供を持つような男ではなかったらしい。

若いときに簡単に商売で大金を掴んでしまい、

その後、放蕩癖がついてしまったようだ。


晩年、癌を発症し、親から継いだ会社を破産させ

ながらも、長男(兄)の援助のおかげで乞食に

ならなかった。それはそれで運が良いのだろう。

 

父親が死んだ年に近づいている。

少ないながら私は知人や子供たちにどう思われて

いるのだろう。

父同様、自分は情けが薄いのは自覚している。

今さら包容力のある、人情深い、

誠実な初老の男を演じることもできない。

 

今まで通り生きていくだけだね。




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