木曜日

愛すべき人々4(昭和編)

 

めずらしく飛び込みで面接に来た男がいた。

 

履歴書も、身分証明書もなく、数枚の新聞紙が

入った紙袋をもってふらりとやってきたらしい。

 

私が入社する2年ほど前と聞いた。

大阪から流浪して来て、いよいよ

食べるのも困ってたどり着いた。

 

吃音持ちで面接時はモジモジしていたらしい。

我が優しきO店長に拾われ、私がいた5年間も含め

10年間在籍していたようだ。

 

前職は十三ミュージックという

ストリップ小屋の照明係だったと、本人の談。

 

普段は吃音が出て言葉が出てこないのだが、

なぜか呼び込みが流暢だった。

 

昔はパチンコ専門の口上集(呼び込み)の

カセットテープも販売されていて、

「北は北海道から南は九州沖縄まで」の

地方色の強い呼び込みマイクを使う

ベテラン社員もいて、聞いていて面白かったものだ。

 

彼は一生懸命1本のテープをコピーし、

オリジナルの呼び込みマイクを習得していた。

 

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ・・・」

舌足らずだが愛嬌のある声で、

この時ばかりは生き生きとしていた。

 

しかし、この呼び込みマイクも

「音がうるさい」「客を煽っている」など

平成に入ってから徐々にホールでは聞けなくなった。

 

わたしは今でもカラオケに行くと

歌の前に定番の呼び込みを披露します。




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711枚

 

2003年の10月に大量出玉の

ミリオンゴッドなどの3機種が検定取り消しとなった。

これらの機種が、多くのホールから消えていく前後には、

まだまだ4号機には波の荒い機種が多く、

その代表的な機種が、1回のBIG(大当たり)で711枚が

放出されるストック機の「吉宗」や「大花火」だ。

 

特に大都技研の「吉宗」は1G(ゲーム)の連チャンが

3回、5回と連続して当たるような大量出玉獲得機だ。

 

711枚だと等価交換の店舗だと14000円。

1時間で10万円が一気に出ることで

閉店1時間前でも一発逆転を目論んで活況だった。

 

ゲーム性も面白く高確率ゾーン中のワクワク感や

条件が揃えば次の大当たりが

確定するなど「中毒性」が高く、

愛嬌のある「吉宗」のキャラクターと相まって、

大学生が、かなりの頻度ではまっていた。

 

パチンコ業界は

いつの時代でもそうだが、規制と緩和の波の中で、

創意工夫しながらメーカーとホールは売り上げを

伸ばし、したたかに一つの産業として

確立してきたが、その反面、

「中毒」、「依存」という

病に悩む被害者を多く作ってきた。

面白さを追求するということは

射幸性を高めるということだ。

それはギャンブルとはそういうものであり、

やはりきちんと法律で縛らなければいけないと思う。

 

許可をする。

取締りをする。

という相反することを同一の組織(警察)が

管轄していることを是正していかないと、

パチンコ屋は変わらないだろうね。

 

いつまでも日本という国は

アルコールやギャンブルには寛容だね。





火曜日

海とジャグラー

 

パチスロAタイプの代表機種は、北電子の「ジャグラー」だ。

1996年(平成8年)に当時は、話題にもなることなく、

ひっそりと地味な登場だった。


完全告知で、レギュラー当たりもなく、ボーナスのみだった。

1999年(H11年)の2代目からは、先告知が採用されて

BIG365枚、REG124枚と、枚数もそれなりにあった。

しかし、当たりの告知ランプが点灯するので

モーニングサービスが出来ない。

波も比較的緩やかで、今ほどの人気ではなかった。


2000年代の4号機から5号機に

切り替わる時期を境にアイムジャグラーなど

適度な射幸性が万人に受け支持されだした。


他社も同様のAタイプ機種を作るが、

いまだに同列の機械は出てこない。

何かが違うのだろう。

 

同様にパチンコ機種では、1999年の現金機の

「海物語」が発表され、こちらは当初から

客付きはよく主力機となった。


CR機になってからも海シリーズは常に

ホールのメインを張り、「海物語」「ジャグラー」の

両シリーズでホール経営はずいぶん助けられた。

 

私もホールの再構築(リニューアル)には

この両機種は必ずメインに据えた。

両機種ともいえるのは、キャラクター、

コンテンツは版権モノではなく

オリジナルだということだ。

ずいぶん儲けただろうね。





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一発機


私が業界に入った1986年頃から数年は、

「一発機」ブームだった。


 「一発機」には1個入れば終了確定の「完全一発機」、

 クルーン等に入ってから当たりの入賞口まで抽選される

「振り分け一発機」

 などがあり、前者はゲーム性が単調でプロ受けするが、

稼働はいまひとつだった。

後者は三共「スーパコンビ」に代表されるように、

一般のユーザーにも支持され人気は高かった。

 

近年、漫画の「カイジ」などでも登場するが、

玉が結構な頻度で飛び込み、そこからクルクルまわり、

手前の穴に落ちれば大当たりする。

調整よりも遊技台の勾配(設置角度)に大きく左右され、

台を立てたり寝かせたりしていた。

 

普通の遊技台の勾配は、4分5厘が一般的だが、

立てれば玉が暴れて辛くなる機種もあり、

ひどいホールに行くと遊技玉がガラス面に

カチャカチャと当たり、うるさいくらいだ。

 

昔は「羽根物」の役物のバネを

強く引かれるように調整し、羽根の開閉が早くなって

玉が入りにくくする細工をした。

また、役物の下に紙などを噛ませて、中央に寄せにくく

したりとか色々と姑息なことをしていたね。

 

ハンドルのバネにも個別に個性があり、

玉とびの良い台は、入賞ルートも決まり易く、

またトランスの電圧が安定する時間は、甘くなるなど

オカルト的な攻略もあったね。

 

究極のオカルトでいうと、

「遊技台の鍵穴に指を突っ込むと当たる」

と三回権利の「ミルキーバー」など

よくやっていたけど、「バカだねえ」。 





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煙(けむり)

 

2003年から4年にかけて1年間だけだが、

パチンコ店300台、スロット店150台が

併設された450台の店舗を借りて営業したことがある。

 

家賃は高かったが、リニューアルされたばかりの店舗で、

初期の設備投資が遊技機も含めてほとんどかからない事、

新興都市の真ん中に位置し、

かつては地域一番店だった事も考慮し、借りた。

 

結果的に初期投資をかけなかったことで、

先方の理由による1年での撤退にもかかわらず

赤字が出なかったことは幸いだった。

 

大家は地元の不動産会社で、

初めてのパチンコ店の経営が当たり、

数年にわたってその地区では一番店だった。

 

早朝からメインの「海物語」のコースは満席で、

行列のできる店舗だ。


実は地元同業者では疑惑の店舗だった。


どうもフィーバー機のかかり方がおかしい。

客が多いとはいえ、あの動きは。等々。

しかし確証がないまま、その店舗は、

当社が借りて引き継ぐことになった。


屋号や施設はそのままだが、借り店舗の手始めとして

遊技機設備の点検をしていくと、

数台に怪しいハーネス線が。

 

また事務所に設置している売上管理のコンピュータも

設定がおかしい。CPは業者を呼びチェックさせ、

遊技台の裏についている配線は、当社に移動入社した

その店舗の元マネージャーを詰問する。

 

やはり以前からの噂通り「仕込み」があったのだ。

前オーナーから全て撤去するよう指示があったのだが、

数台、失念してしまったようだ。

 

またCPは基板が脱税仕様に変更されていた。

事の顛末は当社の経営者にすべて連絡し、

すべて正規にもどした。

 

「火のない所に煙は立たぬ」のとおりだった。








月曜日

UFO

 

子供ころなら誰でもそうだろうが、

UFOやネッシー、雪男などの話題は面白かった。

TVでは矢追純一の「UFOもの」や、

「アダムスキー」の本など読んで一時夢中になった。

 

しかし、空を毎日見上げても未確認どころか、

それらしい物も見ることもなく、海の中の

「シーラカンス」は現実的だが、

それ以外は作り話だと、妙に冷めてしまった。


この年になるまで体感として、

私の中には「死後の世界」はなく、

死ねば「無」であり、UFOや霊が見える人は

「見える脳の問題」で、

機能障害があるのだろう。

 

会社の同僚には「こびと」が見える人や

会社の社長は「霊が見える」という霊媒師に

様々な助言を受け、傾倒していたが、

 

同僚には「病院に行け」

 

社長には「チンピラ霊媒師」と、呼んでいた。

 

なんでも信用したらダメだ。






打ち子

 

不正機や、意図的に開けられた釘、設定を

あらかじめ決められた特定の者(打ち子)に

打たせることは昔からあった。


ゴト師が雇う場合と、

パチンコ店がサクラとして雇う場合、

パチンコ店関係者等が金銭目的で雇う場合、

などいろいろな意図動機がある様だ。

 

私は経験がないのでこのあたりの

仕組みには疎いのだが、

こういった事例を聞いたりすること

自体が心境は複雑だ。

 

どのような形であれ

窃盗の共謀共同正犯であり

刑事罰の対象となる。

 

一般のパチンコユーザーの信頼を

裏切るとともに

このような事例が続けば

業界の存続にもかかわるだろう。

 

同族の清掃会社の社員数名が万円の日当で

近所のスロット専門店で「打ち子」のバイトを

やっていたと後で聞いた。

 

ますます複雑だ。





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土曜日

ミリオンゴッド



2002年(平成14年)から翌年にかけて

ミズホから「ミリオンゴッド」という

爆裂AT機が発売設置されていた。


4.5号機だ。

ストック機能があり、ゴッドゲームに

突入すると一気に5000枚放出される。

(5枚交換=等価交換)なら10万円だ。


近隣店で5万枚出た。

その店舗は等価交換だったので百万円だ。


私の担当する店舗でも4万8千枚出た。

6枚交換だったので80万円の換金だった。

 

これくらいから

世間や警察も看過できない状態になった。


「身近で手軽な遊び」ではない。


完全な「博打」だ。


業界の自主規制では生ぬるく

2003年10月に

「サラリーマン金太郎」「アラジンA

「ミリオンゴッド」の3機種は

検定取り消しとなった。

 

それでもそれ以降、

まだまだ高出玉のパチスロ機は

出たけどね。






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メーカーB

 

店側が「裏もの」を仕込んで、一歩

間違えれば検挙される危険性もあった。

しかしメーカーから堂々と発売され、

多くのホールに設置された

「裏もの」もある。


大東音響の「キングガルフ」

「リズムボーイ」や

高砂「電撃あらっ太郎」などの

メーカーBと言われた4号機だ。


Aタイプの400枚仕様だが、

20連チャン、30連チャンなど

一気に1万枚を超える差玉が出て

一般のユーザーより

むしろ業界人がはまっていた。

 

私がいた近隣地区では

「キングガルフ」が人気で

大当たりになると

「チャーンチャンチャンチャーンチャチャン」

ドボルザークの新世界が流れ

知人の同業者がこの機種が

設置されている店舗に集結していた。


同僚が半日で10万円。

ストレートで1度も大当たりせず、

恥ずかしながら、

その店舗で暴れていた。


「電撃あらっ太郎」という機種は

「殺人的告知機」といわれ

大当たりの予告、告知音がけたたましく、

電気が走るような衝撃があり、

怖かった。あまり打ちたくない機種だ。




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裏もの


「裏もの」

と聞くとビデオやビニ本を想像するかもしれないが

パチスロでは不正(改造)機のことだ。

 

私が業界に入った1986年(昭和61年)は

パチスロ1号機の時代で新風営法が施行された

ばかりの頃だ。


アメリカーナXX(ユニバーサル)、

パルサーXX(日活)や翌年「ニューペガサス」

(パル工業)が発売され、ひと時沸いた。


1回交換の千円買い。1回かかるたび千円分コインを

購入追加してもらう、という今なら信じられない

暴力的な営業だった。

それでも「ニューペガ」は吸い込み方式の連チャン機で

人気も高かった。

 

閉店後、事務所の奥ではハンダ付けの

臭いが漂ってくる。

「かばん屋」が基板を丁寧に開け、

ドライヤーで封印シールをはがしている。

ロム交換だ。

「かばん屋」とはこのような改造ロムを

仕込む闇業者だ。

 

どのような動きになるかは現場には

知らされていない。

オーナーのみぞ知る、だ。

 

毎夜、打ち込み機をつなぎ、

朝一番にボーナスがかかるように仕込む。

いわゆる「モーニング」だ。

台数が多いと明け方までかかる時がある。

 

当時はあの手この手で

罪の意識なく工夫した。

企業のコンプライアンスという

言葉もなかったが

でも閉店後、

隠れて行っていたのだから、

後ろめたさはあったんだろうね。





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矛盾

 

パチスロの全盛期は1992年(平成4年)

から2007年(平成19年)といわれる。

 

いわゆる4号機と称される機種が

発売されたのが、平成5年の

「ニューパルサー」、「クランキーコンドル」

くらいから。

 

以降、4.1号機、4.5号機、4.7号機と

続き、最終的に2007年まで4.7号機が

主力機として活躍していた期間が、長い業界の

歴史でもパチスロの隆盛期だろう。

 

平成に入るまでは、ホール全体ではパチスロの

台数設置比率は小さく、パチンコと比較して

1:9 か 2:8 くらいだった。

 

皆さんがなじみのある機種が、これ以降

どんどん発売設置されて、パチスロの設置

台数も増え、パチスロ専門店が出来るまでになった。

 

のちに規制の対象となって撤去される機種は、

「保安電子通信技術協会」通称(保通協)といわれる

警察の外郭団体が検定許可を出した遊技機だ。

 

あとになって「射幸性が高い」と

強制撤去されるのは矛盾しているが、

点検基準の目をかいくぐって開発した

メーカーにも重大な責任がある。

 

いずれにしてもホール経営者は、

保通協を通過した

行政から許可を通った

正規の遊技台を

正規のルートで

正規のメーカーから言い値で購入し、

正規の手順を踏んで設置した遊技機を

後から射幸性が高い(不適合機種)

と言われ撤去の憂き目に

合わされることの繰り返しだ。






盆正月

 

20歳から5年ちかく、兄の経営する

喫茶店でバーテンダーとして働いていた。

2歳下の妹と共に厨房は兄妹で担い、

ホール係はアルバイトで運営していた。

大阪梅田の紀伊国屋書店の横、

カッパ横丁という通りの前の

タクシー乗り場の向かいにあり、

「あすなろ」という屋号の小さな店舗だ。


もう今はない。


高校の同級生も一緒にバイトをした

時期もあった。

家賃は当時で100万円、

又借りだったのでさらに20万円。

大阪の繁華街とはいえ高額だ。

コーヒーが300円。

バイトの時給が500円前後だったか。

 

週末や阪急三番街のバーゲン時などは

客数も多く、忙しくて目が回りそうだった。

アイスコーヒーなど布フィルターで

おとしていたが、マシンが入り楽になった。

味見で毎日コーヒーを10杯くらい飲んで

その後も習慣になってしまった。

 

当然、年末年始や盆正月は

かきいれ時なので休みはなかった。

その後はパチンコ店で働き出したので、

こちらも同様に盆正月は休まず。

なので、60才になるまで40年間、

盆正月をはじめ、

まとまった連休はなかったことになる。

水商売をされている方は皆同様でしょうが。





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金曜日

秘密基地

 

昭和52年に父母が初めて家を購入するまでは

それまではずっと借家暮らしだった。

借家の二階の6畳間の押し入れの天井板を外すと

屋根裏部屋に上がれる。

そこが私の秘密基地だった。

母は知っていたのかどうかわからないが、

小4くらいまではそこで友だち数人と

ろうそくを立て遊んでいた。

子どもとはいえ天井板も落ちず、

また古い木造の家屋で子供でも屋根下に

頭が付くような空間でろうそく遊びを

していたのだから今から思うと怖ろしい。

 

寝ているときによくネズミが走り回っていたが、

わたしが天井裏に上がっても、

一度も出会わなかった。

「トムとジェリー」の影響で

その年齢くらいまでは

ネズミは怖くなかったのに。






木曜日

光化学スモッグ (尼崎)

 

昭和46年ごろ、小学校の朝礼は

校庭で行われることが多かった。


校舎の近くにポールがたっており、

行事の時は校旗や国旗が掲げられる。

その横にもう1本黄色か赤か記憶があいまいだが

「光化学スモッグ」の警報旗が時期によっては

頻繁に出され、女児や虚弱体質の子が

バタバタと倒れたことがあった。

 

当時日本は「公害天国」といわれていた。

近くの川ではメチル水銀が、

山へ行けばダイオキシンが、

テレビでは水俣病やイタイイタイ病が

連日取り上げられ、現実では市内南部を

自転車でひと廻りすると白いシャツが

煤で真っ黒になるぞ、とおどされた。


同じクラスの男の子は

サリドマイド児で両腕がなかった。

ぜんそくの子も多くおり、今から考えても異常だ。

 

日本は高度成長時代の真っただ中で

世の中がある種の

狂気に包まれていたのかもしれない。

 

当時はサリドマイドの子や知的障害児も

同じ教室で学んでいた。

彼は両足の指を手のように器用に使い

一緒に給食を食べたり、他の子供たちと分け隔てなく

一緒に授業を受けていた。

しかしある時期から彼らは隔離されるようにクラス

分けが始まり、それ以降一緒になることはなかった。


のちに彼は若くして亡くなったと、

知人から聞いた。

残念だ









改造  (昭和)

 

近場に夏の間だけ

バラック小屋で経営するパチンコ店があった。

夏場は海水浴、釣り客、その宿泊客などが集まり、

屋台などの露店も出て、的屋みたいなものだ。

パチンコ機やスロット機を打たせ、

ちょっとした景品と交換させていた。

 

当時の法的な区分がどうだったのか不明だが

一応遊技組合にも加入し組合会議にも出ていた。

遊技機は近隣の店舗から不要になった台をもらっていた。

当然当時から風俗営業法はあったので、

遊技台の許認可検査は所轄警察が行っていたはずだが、

そこのオッサン経営者曰く、

「玉が出ちゃうと赤字になって困る。

だから玉が入るところにもう1本釘を打って、

入らないようにした」

 

「!?!?」

 

釘を勝手に追加すると違法改造だ。

 

そんな感じでも3シーズンくらい不定期に営業していた。

 

世の中がいろいろな面でゆるかったんだね。

 

 

 


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初心者 (昭和)


釘をたたき出したのは入社して2年が

経過したぐらいだ。前任者が急に辞め、

調整担当者のなり手がおらず、

他人にやらすなら、身内にやらそう、と

いうわけだ。

 

最初の手ほどきは会社の専務から、

ハンマーの持ち方、叩き方、

調整道具の使い方など基本的なことだけ。

 

遊技台のデータはIN(補給された玉)、

OUT(打込んだ玉)、差玉(黒か赤か)、

手書きの大当たり回数だけだった。

 

個別の売上は、当初のサンドは遊技台2台に

サンド1台だったので、

正味の1台ごとの台売上はわからない。

 

ベテランの釘師はいたが、教えてくれない。

職人は技能を盗まれると自分の職を失うと

思われていた。

少し離れて見るだけなら構わない。

 

見様見まねで始めたが、

いうことを聞いてくれない。

思うようにいかない。


当時は普通電役などの釘を異様に曲げて、

本来の性能から逸脱させ、

ある箇所に入れば、店側が強制的に

止めなければ終わらない、という

いわゆる「一発機」が人気台として

設置されていた。


基盤内の確立で大当たりが

左右されることがなく、

完全に「釘師」と「打ち手」との勝負だ。


出玉が止まらない。毎日連敗だ。

シメてもシメても常連客に出される。

なんせ一発(一個)はいったら4000個だ。

40個百円交換だったから一万円。

 

毎夜、朝まで試行錯誤するが、ダメだ。

毎日寝られない。

 

今ならわかるが、当時の初心者の

「甘い若造」には、荷が重すぎた。


マルホン社の「キャラバン」という台だ。

結局この台は、利益を出すこともなく

早々に撤去した。

 

その後、数年間はこの時の悪夢に悩まされ続けた。






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ホルコン

 

ホールコンピューター

よく客から

「ホルコンいじって(操作して)玉出してよ」

とか言われる。

なぜかホルコンが不正の装置のような印象がある様だ。

 

ホールコンピューターは遊技台の

すべてのデータを集積し、表示してくれる。

それだけだ。ホルコンから能動的に

遊技機の性能に影響することはない。

遊技台の個別のイン、アウト、差玉、スタート回数、

ベース値、他出玉、大当回数、一回の出玉(T1Y)、

総出玉(TY)やその他の平均打込や、割数などなど。

これらは遊技台の裏にある基盤の情報線から台に

個別に設置されている台コン(ピューター)を経由して、

事務所やカウンターのホルコンに集約される。

 

これらの情報をもとに「釘師」は調整や営業の戦略を立てる。

便利な時代だ。昭和にはなかった。

「勘」から「情報」になった。

 

しかし多くの客はこのホルコンは

遠隔で遊技機を操作できると信じているようだ。

 

私は幸い自分が今までいた会社、店舗では

不正(遠隔操作)に関わったことはない。

しかし、現実に警察に検挙されたホールも実在し、

業者からや同業者から話は聞いたことはある。

 

法外な費用を出せば確率の操作はできるようだ。

もちろん違法で、発覚すれば営業許可の取り消し対象だ。


人気台、看板台があった時代は遊技機の寿命も長く、

検定期間は3年だがプラス3年再認定、またそこから

みなし機という呼称で延長できる期間もあった。

そういう時代は固定の遊技機に法外な装置を付けても

費用は回収できただろうが、近年の機械の設置短命化では

遠隔を仕込むホールなど皆無だろう。








 

火曜日

梁山泊 2 (平成)

 

ところが、常連の女性客が打ち出し、

大当たりを引き出すと、連チャンがとまらない。

10連チャンまでは

「まあ、たまにあること」

15連チャンになると

「これはおかしい」

20連チャンでは

「たいへんだ」


この「春一番」という機種は

液晶上部のランプと大当たりの

天国モードが同期しており

それを狙い打つのが攻略打ちだったのが、

このランプの点滅が壊れていたらしい。

自動的に毎回終了後天国モードに入り、

連チャンが止まらなくなった。

 

私はもうこれくらいの頃から開き直っていたので

「常連のいつも負けているおばちゃんだ。

いくとこまでいって、とことん勝ってもらおう」

 

ところが大当たりを引いている当人が、

あまりにも当たりが連続し、怖くなった。

「もうやめる。止めて。怖い、いやだ」

 

あまりにもたくさん勝っちゃうと、

もう遊びではなくなったんだね






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