木曜日

初心者 (昭和)


釘をたたき出したのは入社して2年が

経過したぐらいだ。前任者が急に辞め、

調整担当者のなり手がおらず、

他人にやらすなら、身内にやらそう、と

いうわけだ。

 

最初の手ほどきは会社の専務から、

ハンマーの持ち方、叩き方、

調整道具の使い方など基本的なことだけ。

 

遊技台のデータはIN(補給された玉)、

OUT(打込んだ玉)、差玉(黒か赤か)、

手書きの大当たり回数だけだった。

 

個別の売上は、当初のサンドは遊技台2台に

サンド1台だったので、

正味の1台ごとの台売上はわからない。

 

ベテランの釘師はいたが、教えてくれない。

職人は技能を盗まれると自分の職を失うと

思われていた。

少し離れて見るだけなら構わない。

 

見様見まねで始めたが、

いうことを聞いてくれない。

思うようにいかない。


当時は普通電役などの釘を異様に曲げて、

本来の性能から逸脱させ、

ある箇所に入れば、店側が強制的に

止めなければ終わらない、という

いわゆる「一発機」が人気台として

設置されていた。


基盤内の確立で大当たりが

左右されることがなく、

完全に「釘師」と「打ち手」との勝負だ。


出玉が止まらない。毎日連敗だ。

シメてもシメても常連客に出される。

なんせ一発(一個)はいったら4000個だ。

40個百円交換だったから一万円。

 

毎夜、朝まで試行錯誤するが、ダメだ。

毎日寝られない。

 

今ならわかるが、当時の初心者の

「甘い若造」には、荷が重すぎた。


マルホン社の「キャラバン」という台だ。

結局この台は、利益を出すこともなく

早々に撤去した。

 

その後、数年間はこの時の悪夢に悩まされ続けた。






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