土曜日

B勘定 (昭和編)


昭和の時代。

売上には表向けの勘定とB勘定というのがあり、

このB勘のBの意味は、よく分からないが、

バック金、ブラック金、裏勘定の意味だろう。

店には遊技玉や貸玉金を管理するコンピューターがあり、

その中間で売上金の一部を

コンピューターから無かったことにして抜きとり

B金として毎日、私が営業金庫から回収し、

秘密の開かずの金庫に投入していた。

要は、脱税に加担していたわけだ。

店舗当たりのB金が30万円程度あり、

当時店舗経営していたので、

かけるで毎日120万円の裏金が

貯まっていくわけだ

26日営業だから

120×263120万円が毎月抜き取られ、

年間、千万前後。

土地の安い田舎のホールなら

年間に店舗くらい出店できるほどだ。


昭和50年代、新たなパチンコ機が出て、

いわゆるフィーバーの時代。

それまで1台当たりの売上が3千円とか5千円。

1万円も売れば超優良機だったが、

フィーバーが出た途端、売上が一気に倍、

10倍となった。

売上が少ない高利益率の損益構造だったところに

いきなり売上が上昇するが、利益率はそのままだ。

 


写真素材 pro.foto


当時は薄利多売などの企業理念などはなく、

毎日、粗利回収金が山のように。

私が聞いた話では、

事務所の大型テーブルの上に

系列店から集められた札束が山のように積まれ

それを端から端まで両手で構え込むように

袋に流し込み、まさにサンタクロースの袋のように

お金を移動していたそうだ。

 

当時、テナントが10店舗以上あった

ホール経営者は100億以上の裏金がある。

などの話は全くのほら話ではなく、

当たり前のようにお金が溜まっていたのだと思う。

 

腐るほど金があるのなら

せめて周りの人間に配ればいいのだけど、

大金を持つとそういう発想にはならないのだろうね。

それだけの利益が出た業種であっても現状は、

相変わらず許認可営業の不安定な

営業形態なのだから、総じて

一夜成金の「強欲経営者」ばかりだったのだろう。



0 件のコメント:

コメントを投稿

人気の投稿