木曜日

DEN


平成のなかごろ、準大手のパチンコ店を辞めた。

自主退社というよりも以前も書いたが、肩たたきがひどく

病気入院で3週間の現場離脱をきっかけに、転勤、降格、

減棒を繰り返され、会社の思惑通りに退職願を書かされた。

 

バブル崩壊前に購入した坪100万の10坪の狭小住宅の

ローンの返済、2人の娘のミッション系私立女学校の学費、

たまにやってくる親父の遊興費。

 

休んでいる猶予など無い。

次のパチンコ店での就職口を探していた。

 

その時期、親父の姉(大叔母)がS県でパチンコ店を2店舗

経営していたが、長年雇っていた店長からあることを理由に

恐喝され、店長不在のため店は危機的な状況になっていた。

 

大叔母に連絡してもらい、S県のあるホールへ伺いに行った。

大叔母は、息子が関西で数店舗のP店をやっているので、金銭的

には苦労はなかったはずなのだが、諸事情あり、自分でもホール

経営を始めたのが数年前だ。

 

周囲の業者に云われるままに遊技機の購入や、営業指南をして

もらっていたが、客数は減少し、怪しげな業者に勧められるまま、

「遠隔装置」を設置してしまった。

億単位の費用がかかったらしい。

それでも業績は向上せず、店は閑古鳥が鳴いていた。

 

また、開店時からいた店長が辞める際、遠隔の不正を警察に告ると

脅され3千万円の退職金までむしり取られていた。

 

営業に無知で人任せな経営者も多くて、騙されて大金を失った

パチンコオーナーの話も多い。

 

簡単に大金を投資して、大した人材もなくP店の経営に手を出すの

だから失敗するのは必然だが、良い人材(店長)に巡り合うことも

あり、大叔母は人を見る目が無かった。

 

「フーテンのソビン」と言われたわが父を店舗の会計係に据え、

勧められるまま違法機器である「遠隔装置」まで訳も分からずに

導入したのだから、恐れ入るくらい無知でお人よしだ。

 

「ゆうちゃんがもっと早く来てくれたら良かったのに」

 

重なる赤字で店舗の撤退はもう決めているようで、私の再就職は

ハナからなかったのだが、私自身も現状の店舗を観察しても、ここは

無理ゲーだった。

 

余生に余裕で資産もあり、無理して商売をする必要もなかったのに

魔が差したかのように、私の父も引っ張り込んで、失敗してしまった。

後に聞くと子供達との関係も良くなく、最後は寂しい余生になった。

 

ちなみに廃業した店舗の屋号は「TEN=テン」だったが、地元では

 

TEN=テンはDEN=出ん、と言われてるんよ」

「名前があかんかったんかなぁ」

 

大叔母は少し寂しげに笑っていた。




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