火曜日

帰化


2013年(平成25年)に日本国籍に帰化をした。

52才の決意だった。

私の父母は在日二世で、父は両親とは普通に韓国語で

会話をしていたバイリンガルだが、母は、母国語は聞く

だけで、話す事が出来なかった。

私と兄妹は日本の学校で教育を受け、家庭内でも

韓国語に触れることなく成人した。

 

「ふるさと」は物心がつく頃から自然と培われる

ものなのだろう。

 

そんな環境で育った私のアイデンティティーの片隅には

常持している外人登録証があったのみで、自ら民族意識を

醸成する機会もなく環境でもなかった。

 

自身のルーツを探るべく足掻いた時期もあったが、

30歳の時、韓国人の妻と出会い、自身の韓国化を

試みたが、お互い、同胞との出会いというよりは、改めて

違う国、価値観の違う国際結婚だったことを再認識した。

 

長女の就職も近くなり、以前から子供たちは帰化を

希望していた。祖父母が日本に定住してから90年。

私の子どもたちで在日四世になる。

妻は生粋の韓国人だが、自身が日本語を覚えるのが

精一杯で、日本語で会話し、生活していた。

子供たちは私の世代以上に「日本人」として、

ルーツは、母や曾祖父母の生まれた韓国だが、

「ふるさと」を愛する日本人として、

「国籍変更」を選択した。

 

20歳から迷い、30年間踏み出せなかった

「国籍変更」を私も決意した。

 

国籍の取得・変更は世界では二重国籍も当たり前だし、

便宜上の変更も多いようだが、先の大戦時の日本の

大東亜共栄圏構想の悪夢が、日本に住むアジア諸国の外国人

には「日本化」の心の障害になっているのだね。

 

まだ戦後80年も経っていないのに、最近の急激な軍備拡大案や

あからさまな歴史改竄は、また、日本が同じ道をたどるようで

不安だが、今は私には毎回の「一票を投じる」権利もある。

 

「ふるさと」を破壊させないように行動しなければいけないね。






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