月曜日

源さん


1996年(平成8年)に登場した三洋の

「CR大工の源さん」は爆裂CR機種で

/3確変、2回ループのフルスペック機種だ。

 

確変終了後、100回の時短もついて、出だすと

連チャンが凄かった。設定が段階あったが、

担当店では全台同じ設定で固定化していた。

 

今も何度も焼き直され、いろいろなスペックで

再販されているが、やはり初期のスペックの印象が

ずっと後発機にも影響し、生き残って来たのだろう。

 

ある日、私が所属した会社の系列店の近隣で

当時の暴力団同士の抗争事件があり、

拳銃発砲による殺人事件があった。

 

殺害された被害者はCR大工の源さんコーナーで

遊技中、後ろから後頭部へ発砲され即死だった。

 

その瞬間、パチンコ店内の喧騒の中、発砲後も

周辺客はハンドルから手を放すことなく

遊技していたらしい。

現実感がなく呆けに取られていたのだろう。

 

撃った犯人は駆けつけた店員に銃口を向けながら逃走。

そのあとは、警察の検証もあり、さすがに閉店したが、

翌日は平常通りに営業した。

大工の源さんコーナーは、閑散としていたらしい。

 

両隣で打っていた遊技客の話では、銃撃された遊技台は、

源さんの「全回転リーチ」がかかっていたらしい。

 

撃たれた客が遊技台に倒れ込みながら、

薄れゆく意識の中で、大当たりを認識していたか

どうかは定かではない。

 

この店舗、後日にも駐車場に放置された車の

トランクから死体が発見された。

 

怖ろしい。

うちの店でなくて良かったと、心から思った。




写真素材 cg.foto


1993年(平成年)ごろ、当時借りて

いたマンションの近くにパチンコ屋があり、

遊びに来ていた親父と二人で千円ずつ、

冷やかし半分で打ちに行った。

 

ニューギンの「エキサイトジャック2」と

いう機種で、1/223の確率の保留玉

連チャン機だ。

 

二人並んで座り、千円ずつ投入。

私は回目の回転ですぐリーチがかかり、

すんなり大当たりとなった。

 

引きが良いのか当時は結構1~2回転で、

かかることもあり、百円で一発機を当てる

こともあった。

 

結果、1万円ちょっとのプラスになったので、

親父に1万円を小遣いで渡し、駅前で別れた。

 

2時間後、親父がまた来た。

1万円すったので、また貸してほしいとの事。

 

当時は田舎でのパチンコ店を辞め、妻が出産のため

市内へ引っ越してきたばかりで、金銭の余裕がなく、

私は強い口調で怒ってしまった。

その時の怒りを覚えながら目を伏せた父親が

そのあと不憫に思い、その後はけっこうな頻度で

小遣いを渡してしまった。

 

博打を打つ人間には、1万も10万も100万円も

一緒で、負ければ、すぐなくなってしまう。

「すっからかん」になり、よく車をかたにして

帰ってきていた。

 

享年69だったが、知人兄弟の中では、わが父は

嫁子供を持つような男ではなかったらしい。

若いときに簡単に商売で大金を掴んでしまい、

その後、放蕩癖がついてしまったようだ。


晩年、癌を発症し、親から継いだ会社を破産させ

ながらも、長男(兄)の援助のおかげで乞食に

ならなかった。それはそれで運が良いのだろう。

 

父親が死んだ年に近づいている。

少ないながら私は知人や子供たちにどう思われて

いるのだろう。

父同様、自分は情けが薄いのは自覚している。

今さら包容力のある、人情深い、

誠実な初老の男を演じることもできない。

 

今まで通り生きていくだけだね。




写真素材 pro.foto

木曜日


長女は2021年4月に男の子を。

次女は同年5月に女の子を出産した。

還暦の年に二人の孫が生まれ、じいさんになった。

自分への責任がない分、初孫は可愛いというが、

当初は、自分の子の時のほうが、数倍可愛く思え、

まだ自ら動けぬ赤ちゃんは他人のように感じた。

 

だが、会うたびに二人の成長が見えるようになり、

乳児から幼児に成長していくと、それぞれの個性が

はっきりし出してくる可愛さで、興味深い。

 

自分も経験したことだが、子育ては大変だ。

いきなり暴君が現れ、平凡な生活に嵐を呼び込む。

 

あれから30年も経過し、当時の心境をすっかり

忘れていたが、孫の出現で思い出した。

 

たまに会う分には大歓迎だが、頻繁だと微妙だ。

いうことを聞かない。

話が通じない。

ご機嫌を取らないと、寄ってこない。

 

今後の彼らとの交渉には歩み寄りが必要だ。

高度な外交力と体力が求められる。

がんばろう。



写真素材 pro.foto

移住


妻は韓国生まれの生粋の釜山人だ。

これは大阪生まれの関西人と同義で、大阪と東京の対比

同様、韓国にもソウルと釜山は二大都市圏として比較

されるようだ。

 

方言も釜山は男性的で面白いニュアンスがあり、

ソウルは女性的で流暢な印象らしい。

大阪弁と東京弁にも似たようなところがあるね。

 

老後は、頻繁に韓国へ行き、可能なら余生を釜山で、

と夢のように少し思っていたが、新型コロナ以降、

本当に夢になってしまった。

 

また、経済的な面でも韓国は個人所得も上がり、

物価も高く、「失われた30年」の経済低迷状態の

日本と逆転しつつある様だ。

実際、予定している私の「年金」では、

ソウル・釜山の都市圏では生活できない。

東京でも無理だが・・・

 

移住は難しい。

 

もともと世界でアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国と

いわれていた時代でも、世界から見れば「ウサギ小屋」に

住み、「24時間戦いますか」と騙されて働いてきただけで

一般庶民は世界で2番目の経済大国の恩恵など無かった。

 

残る余生、なるようにしかならない。




写真素材 pro.foto

陽性


次女がコロナの無料検査(抗原検査)で

陽性だったと、LINEが。

日前に会ったばかりだ。その時、次女も

1才の孫も鼻水を流していた。

 

それを聞いて、

急に私と妻の体調がおかしくなった。

 

私は翌日から鼻水が出はじめ、

妻は全身の節々が痛いと言い出した。

2020年11月に長年勤めた会社を

退社してからは、ほぼ隔離的な生活を

過ごしてきた身には、コロナとは無縁な

生活を過ごしてきた。

 

娘は翌日、病院でPCR検査を受ける予定

だったが、保健所に連絡すると、無料検査の

陽性の時点でコロナ登録するらしい。

「みなし陽性」というやつか。

 

症状はそれほどキツクなく、子育てとここ最近

勤め先も忙しく、逆にいい休養になれば良いが。

 

その後、私の鼻水はすぐ治まり、体調には変化はなく、

妻は関節の節々が痛く、熱はないが体がだるいようだ。

それなら普通の風邪の症状だ。

 

「コロナ陽性」でびくついてしまったが、今の調子なら

何ともなさそうだ。

 

これがコロナ陽性なら恐れるに足らずだが、本当は

どうなのだろう。やはり、もっと気軽に精度の高い

PCR検査を受けられるようにしてほしいね。




写真素材 pro.foto

土曜日


「チッチッチッチッチ」

アナログ時計の秒針のような音が聞こえる、

らしい。私の胸から。

 

大動脈の人工弁への置換手術後に退院し、

帰宅してから二人の娘がすぐに気づいた。

同じ部屋の中では、少々距離があっても、

はっきり聞こえるようだ。

 

妻は気づかず、自分には

「ブツ、ブツ、ブツ」と

聞こえるが、機械音は聞き取れない。

 

会社の事務所でも、向かいに座る事務員には

機械音がはっきり聞き取れるようだ。

 

モスキート音のように、30才くらいまでには、

機械音が聞き取れ、40才くらいでは、微妙なようだ。


人工弁が開閉する時に鳴る音で、生きている証だ。


NETFLIXで「クワイエット・プレイス 破られた

沈黙」というSF映画を観た。

 

ある日、宇宙船が墜落し、見知らぬ宇宙生物が地球上に

放たれた。やつらは視力が無く、音のみに反応し殺戮を

繰り返す。人類の大半は殺され、生存者は音を立てずに

生き残っている。なんせ、サブタイトルが

「音を立てたら超即死」だ。

腕時計も身に着けず、靴音が出ないよう裸足で

生活し、手話で意思疎通をしながら生き延びている。

 

この映画、二作あり、ともに90分程度の短編作で

展開、ストーリーには矛盾がいっぱいあるけど

まあまあ、面白かった。

 

胸から「時計の音」がする私は、超即死だけどね。




写真素材 pro.foto

金曜日

最近感じること


昭和60年頃までは、パチンコ店舗の2階の寮では

部屋数も少なく、相部屋も多かった。

私が入社した62年以降では、相部屋は嫌われるので

ほとんどが個室になっていたが、トイレ、お風呂は

まだ共同のところも多かった。

 

当時は家族で寮住まいのオーナーもいて、一緒に

食堂で同じ釜の飯を食べていた。

 

パチンコ産業が大きくなるにつれ、経営者にも余裕が

出来たが、それでも店舗の近くに住宅を建てて住む方も

多かった。それだけ経営には熱心だったのだね。

 

まさか、パチンコ産業がこんなに巨大化するとは。

 

店舗数も少なく、ボーリング経営にも手を出していた

会社の中には、明日明後日には店を畳む算段をして

いたオーナーも多く、三共の「フィーバー」が出る前に

廃業された方も多かったようだ。

 

その後、「インベーダーゲーム」などのテレビゲームに

影響されつつ、業界は肥大化していくのだが、といって

新規参入は少なく、限られた経営者の多店舗化が進行して

いって、ダイナム、マルハンのような全国規模の会社が

生まれるとは夢にも思わなかった。

 

新型コロナの影響下の令和の今、パチンコ店舗数は激減して

いるが、今後は業界の衰退、消滅も、杞憂に終わるかもしれない。

限られた大型チェーン店は今も強力な集客力があるようだ。

これからも資金力のある大型店舗に集約され、業界は生き残って

行きそうだ。

パチンコ産業の底辺、すそ野は思いのほか広く、日本社会の中に

娯楽としての位置づけが確かにある。侮ってはいけないね。

 

また、利権のひとつである巨大産業を戦後から続く自民党政権と

官僚たちが、自らの食い扶持を減らすことはないのだね。

 

時代はまわるか。




写真素材 pro.foto

日活映画


中学3年生の時、野球部の仲間と阪急塚口駅前の

映画館へ6人で、成人映画を観に行った。

 

「日活ロマンポルノ」だ。

映画のタイトルは忘れた。

 

だが、チケット売り場のおばさんが、

「子供はダメ」と、入場券を売ってくれない。

 

みんなモジモジしながら、売り場の前で

交渉するが、おばさんは頑として受けつけない。

 

キャプテンの「ばんちゃん」が、

18才だと言い張る。

 

「18でもダメ。二十歳になってから」

 

キャプテンの「ばんちゃん」は粘る。

「もうみんな仕事して一人前なんだ」

 

(みんな丸坊主でニキビ面の中坊だが)

 

「どうしても今日は観たい!」

「入れてください!」

「お願いします!!」

最後はみんなで懇願した。

 

おばさんは根負けしたのか、あまりにもしつこいので

「仕方がない、今日は特別よ、早く入って!」

 

15で観た日活ロマンポルノは衝撃だった。

こうやってみんな大人の階段を上っていくのだね。




写真素材 pro.foto

テレビ


幼少の頃に影響を受けたTV番組は、

「鉄腕アトム」「エイトマン」「狼少年ケン」

「鉄人28号」「忍者部隊月光」など。

これらの番組は何度も再放送されていた。

 

リアルタイムでは、

「オバケのQ太郎」「ジャングル大帝レオ」

「遊星少年パピイ」「スーパージェッター」など。

 

実写では、

「悪魔くん」「ウルトラQ」「ウルトラマン」

「怪獣ブースカ」「仮面の忍者赤影」「マグマ大使」

「遊星仮面」など、よく見ていた。

 

物心がつき、私が幼少期に見ていたテレビ番組だが

私の子供たちも知っていた。

 

YouTubeで見たという。今は過去の映像も大半が

場合によっては修正され、見られるようだ。

 

そうなると、その時代に感じたものや、その時代

ならではの特殊性や肌感覚も、過ぎ去った幻想の

様なもので、それぞれの作品から感じるものは、

どの時代の子供たちでも、みな似たような感性で

受け取っているのではないか。

 

代表的な「サザエさん」はいつの時代も繰り返し

放映され、どの世代でも共通の話題性がある。

昔は平凡で一般的な世帯だったのが、令和の今なら

余裕のある敷地に住む、かなり豊かな家庭だろう。

 

オバケのQちゃんやウルトラマン、鉄人28号なども

何度も焼き直して新たな作品として登場してくるのは

定番の安心感と面白さが、どの時代の子供たちにも

通用するのだから、素晴らしいキャラクターなのだろう。

たしかに、どの作品も斬新で夢があり、面白かったなあ。

今度、YouTubeで観なおそう。




写真素材 pro.foto

木曜日

同窓会


今秋、5年ぶりに小学校の同窓会があるという。

5年前にも45年ぶりの再会があり、それ以来だ。

 

その時も、名簿や写真を見ながら記憶を探っても、

さっぱり憶えのない人物もおり、その人物から

妙に懐かしく思われても、こちらは全く記憶がなく、

申し訳ないというよりも、不思議な感覚だった。

彼のことがすっぽり抜け落ちているのだ。

 

その場にいて、話をして、顔を見、出来事を

振り返っても最後まで、彼の記憶は蘇らなかった。

 

残っている写真は集合写真だけだ。

入学時、学年ごと、卒業時、修学旅行や

社会見学など、みなで納まっている姿だけだ。

 

昭和40年代は使い捨てカメラもなかったが、

白黒から後半はカラーになっていた。

 

実家は幾度も夜逃げのような引越しを繰り返し、

幼少年期に過ごした家はないが、何冊かの

アルバムは残り、私の幼少期の写真や、

卒業アルバムは残っていた。

 

写真1枚1枚の当時の記憶はすべて残っている。

と勘違いしているだけかもしれないが、

友人たちが忘れた過去の出来事は、私はすべて

憶えていた。


成長期にあまり勉学に頭を使わなかったので、

幼少期の記憶が良いと、謙遜した。


5年ぶりに会って、新たな記憶が蘇るだろうか。

 

でも、この5年間の最近の記憶のほうが薄いね。

歳をとると時間経過が本当にあっという間だ。



写真素材 pro.foto

旅路

 

現在の仕事は事務の補佐で、非常勤勤務(パート)だ。

週5回の月間100時間程度の留守番のような閑職だ。

 

最初はあまりの暇さにどうしようか、真剣に悩んだ。

契約は2年契約だが、「石の上に3年」だと、

思い直し半年が経過した。

余生を考えると石の上での3年は

老体には尻が痛い。

 

給与は前職から大きく減少し、仕事をし出した

20才頃の給与に戻ってしまった。

60年の還暦で本当に一回りして最初に戻ったわけだ。

 

10万円の手取りなら、妻と二人でも生活は厳しい。

 

10年前に大動脈弁の人工弁への置換手術を

したので、身体障害者手帳は1種1級だが、

厚生年金の障害者年金3級認定で、障害者年金を

いただいているので、なんとかしのげている。

 

ウクライナ戦争以降の、このところの物価高は厳しい。

このまま今の給与では毎月、食べて終わりだ。

職を変えるか、追加でアルバイトをするか。

 

本来は障碍者特例もあり、60才から老齢年金をもらう

つもりだった。ところが基準が変わり、特例の繰り上げ

年齢が昭和36年4月1日までになってしまった。

私は同年4月11日生まれのため、10日のちがいだ。

 

51歳から思い描いていた予定が5年先延ばしに

されてしまった。

 

65才まではあと3年ちょっとだ。

親父は69で死んだ。

叔父連中も最長の83才が1名だけで、

ほかの男性親族は、全員70才を待たずに

亡くなった。

 

繰り上げて、20~25%も年金が目減り

するのは納得できないが、65才前後で親父、

叔父連中の後を追いそうだ。

 

なんといっても心臓の中に機械を入れている。

いつ不具合や体調の変化が起きるかわからない。

 

年金は早死には「丸ごと損」なシステムだ。

 

余生、残り10年ならば、あっという間だ。

60からまた「自分探しの旅」が始まるのか。

嗚呼!




写真素材 pro.foto

火曜日

似た者


以前から知りあいの歯医者の奥さんから

私と同姓同名で、年齢も同じで、体つき、

顔もそっくりな人物がいる。と聞いていた。

姓名の漢字も同じとの事。

 

違うところでも同様の人物がいる、

と聞いたことがある。

同年齢でも、さすがに生年月日も同じか

どうかわからない。

 

気味が悪いね。

しかも、わりと近くにいるようだ。


死期が近いとドッペルゲンガーを見るというが、

幻影ではなく実在の人物のようなので、いつか、

どこかで会うかもしれない。


その時は、客観的に見られるだろうか。

まあ、毎日鏡を見ているので、

自身にそっくりならわかるだろう。

 

身近では20年前に亡くなった親父に、

鏡の中の自分の姿は、似てきていると

自覚もある。

また、6歳違いの兄にも、似ている。

ともに歳を重ねるごとにそう感じる。

 

肉親なら同じ遺伝子を受け継いでいる

のだから当然だ。


私の「そっくりさん」が、本当に私と

瓜二つなら、出生後、別れ離れになった

双子かもしれない。

いや、親父の隠し子かもしれない。


韓国ドラマの世界のようだ。

隠された出生の秘密。


世界には自分とよく似た人間が3人はいるそうだ。

話し方、歩き方、行動が一緒なら、時代が時代ならば

どちらかが影武者だ。

 

うーん。楽しみだ。はやく邂逅して、

真実を追求しなければ。

新しい人生の目標が出来た。かな。




写真素材 pro.foto

体罰

 

昭和の時代は学校教育の中で普通に体罰があった。

 

小学校に入学して1年生の女性の担任は

「鬼のS先生」と呼ばれ、聞き分けのない児童の

髪の毛を掴んで黒板に打ちつけたり、

平手で背中やお尻をぶったりしていた。

 

同窓会の時に話題になったが、やはり女子児童には

かなり衝撃だったようで、トラウマになったようだ。

 

中学生の時でも固い下敷きの端で頭を突いたりする

教師もいて、体育教師は平手ビンタで結構な頻度で

殴っていた。

 

私は高校時代に職員室でビンタをかなり強く

たたかれ、後ろにふき飛ばされたこともある。

まわりの教師は止めもせず黙認していた。

 

先輩の中には、教師に殴られ、殴り返したことも

あったようだ。あとで聞き、私もそうすれば

良かったと、後悔した。

 

殴られるにはそれなりの理由はあるが、

立場の上位者が抵抗できない下位の者に暴力を

使う風潮はいま話題になっている

「スラップ訴訟」にもつながる。

 

暴力に教育的効果はないのは自明だ。

殴ったほうは忘れるが、

殴られたほうは一生忘れない。

殴られたことに感謝なぞしたことはない。

今でも戻れるなら殴り返したい。

俺はしつこいのだ。




写真素材 pro.foto

金曜日

反省2


入社は私より5年ほど先輩だった

最初はカップル社員で入寮し、

のちに別れて同じ会社だが、それぞれ勤務地が

違うところでいた。

男性は10年ほど勤務し、私が入社してから

店長まで登用したが、訳あって退社した。

女性は班長職として、寿退社まで17年間、

会社に尽力してもらった。


すらりとした体形でしっかり者の彼女は、

お客さんにも人気者で、よくファンレターや

お誘いの手紙を遊技客からもらっていた。

 

遊技客の中には、女性スタッフの身体を触るような

不埒な客もいるので、女性の役職者がいるのは

女性スタッフには心強い。

 

店内をハイヒールに黒のスラックス姿で颯爽と

動き回るのは格好よく、部下からも人気があった。

 

彼女が結婚し、退職するという。

結婚式のスピーチを頼まれた。

何日も前から練習し、緊張しながら私なりに誠意を

もって、ご両親の前でお祝いをのべさせて頂き、

無事に式は済んだ。

 

17年も同じ職場に居ながら、いつも距離があり、

それが私の多くの社員さんとの付き合い方だった

のだけれど、最後に少しだけ分かり合えた部分が

あったかも知れない。

 

私は人間関係には冷たい男だ。

これも人生の中の大きな反省だ。




写真素材 pro.foto

反省


酒とたばこは10代の後半から飲みだした。

もともと、酒の強い体質ではなかったが、

普段から習慣づくと、けっこう飲めるようになった。

 

パチンコ業界に入って、営業部で統括するような立場に

なってからは、深夜遅くまで車の運転もあり、また夜間、

早朝の警備会社からのゴト関連の呼び出しが頻発していた

時期は、さすがに飲む時間もなかった。

酒をたしなむのは、帰宅深夜に休日前に

寝酒で飲むくらいだった。

 

昭和の終わりごろ、まだ飲酒運転に対する認識が

低かった時代に、飲み屋街から一人で帰る途中、

酔いもあってあまりにも眠いので、路肩に止めて

仮眠後、もう大丈夫と運転を再開し帰宅途中、

また眠ってしまった。

気付けばトンネルの手前で右側のガードレールに

衝突し、反動で左側にも跳ね返って、目が覚めた。

一瞬で睡魔と酔いが吹き飛んだ。

 

田舎の深夜で、交通量も少なく、トンネルの手前で

車両の破損だけで済んだ。

トンネル内であれば大変なことになっていた

かもしれない。

 

そのトンネルは地元では「出る」ことで

有名な場所だったが、私はトンネル内に

誘われることなく、助かった。

 

車は1週間前に、社長から買って

もらったばかりの新車だった。

会社名義の車両なので保険会社に連絡し

処理すればよかったのに、社長に内緒にするため、

こっそり修理にかけ、大きな修理代がかかった。

 

私には都合の悪いことを隠そうとする裏の顔がある。

自分の失敗をもっとオープンにすれば楽になるのに

隠す。内緒にする。今の自民党政権みたいだ。

 

子供の頃からの内向的な性格が

「事があったとき」に

出てしまうね。大きな反省だった。




写真素材 pro.foto

木曜日

ワーファリン


10年前に大動脈弁狭窄症のため人工弁の

置換手術をした。

それ以降、3か月に1回は血液検査をし、

血液をサラサラにするワーファリンという薬を

毎日5.5錠服用している。

10年間、5~6錠の間の処方なので

安定しているようだ。

3~4錠が一般的には多いようだが、

私は最初から効きが悪く、錠数は多いようだが、

毎日飲むものなので個数は気にならない。

 

人工弁は身体にとっては異物なので、

血液は凝固しようとする。

ワーファリンは、血液を固めるときに必要な

ビタミンKの働きを抑え、血栓(血液の塊)が

できないようにする薬だ。

 

ビタミンKを摂ると、ワーファリンの作用と

逆に働いてしまい、ワーファリンの作用が

弱まってしまう。

 

納豆には、ビタミンKが大量に含まれている。

納豆を食べるとビタミンKの働きが活発になり、

ワーファリンが効きにくく、今後、食べないようにと

薬剤師からの指導だった。

 

私の主治医は鷹揚な人で

「気にせず、たまには食してもよし」

「薬を1回分飲み忘れたと思えば問題なしだ」

 

だが、薬は服用すると3日後に作用するので、

3回連続の飲み忘れは危険だと注意を差された。

 

 

以前、70才上の高齢の患者が受診に来ないので

確認すると、数か月間ワーファリンを飲んでいなかったが、

血栓などは出来ず、健康を維持していたらしい。

高齢で血が薄く、体質的に大丈夫だったようだが、

それが継続できるかどうかは保証できないとの事。

 

薬を飲み忘れ、血栓で梗塞になる高齢者も多い。

 

旅客機事故で奇跡的に無人島に漂着して助かっても、

私は薬がなければ、血栓が、心臓か脳で詰まれば

終わってしまう。

 

「奇跡の生還劇」は、私の書棚にはない。




写真素材 pro.foto

記憶


北海道で2年間過ごしたことがある。

札幌から近く、江別市というところだ。

 

昭和56年頃で、市営地下鉄の東西線の

延伸工事をしていた。現在の東豊線はなく

南北線、東西線の2線だった。

 

当時は、現在よりも温暖化の影響は出ておらず、

夏の海水浴期間は2週間もなく、夏場でも暖房器具は

片づけずに冬に備えていた。夏場でも涼しかった。

 

「すすきの」は昔も今も賑やかな繁華街で、

いろいろな業種が雑多に詰め込まれていた。

 

初秋の羊蹄山へキャンプに行き、夏用のテント、

寝袋だったので、朝は霜が付くような寒さで

凍えてしまった。

 

札幌から小樽までの40キロを歩き、

車の排気ガスで真っ黒に。

 

初めての冬の北海道では、朝、玄関扉が降雪で

開かず、窓から出入りした。

 

スキー場はパウダースノーで、サラサラで転倒しても

濡れないので地元の子はジーンズで滑っていた。

 

20代の記憶はますます断片的になる。


当時は今のように携帯やスマホもなく、

フィルム写真を撮る習慣もなかった。

 

心地よいものも、不快なものも、一緒くたになって

当時の「記録」は、頭の中の淡い「記憶」だけだ。

 

平成以降、令和の子供たちは、生活の中に

「写真」「動画」が入り込み、

彼らが老人になっても、「記憶」は鮮明な

「写真」「動画」と共に残されるのだろう。


過ぎ去ったものや、忘れられたものへの

甘い記憶や恋慕などのあやふやな記憶はなく、

時々の写真、動画を見直すことで、客観的に過去を

振り返るのは、どんな気持ちになるのだろうか。




写真素材 pro.foto

火曜日

匂い

 

和歌山出身のK店長は、元大工。

煙草の本数はかなりだが、酒は飲まず、

口数の少ない寡黙な男だ。

綺麗な年上の奥さんも一緒にカウンター係

として働いている。

奥さんとは色々訳あって一緒になったようだが、

詳細は聞かない。店長からも話はしない。


真面目な男だ。ギャンブルもしないし、

派手な遊びもしない。

在職も長く、過去に社内旅行や、食事会参加時には

何度も機会があったが、彼は一緒に風呂やサウナに

入ったことがなかった。

身体から墨の匂いがする。

全身に昇り龍の刺青が入っている。

暴走族上がりで、どこかの組の幹部だった、等。

尾ひれがついて噂が大きくなる。


事実、誰も彼の裸を見たことがなかった。


と言って話題には面白がって上がるが、

誰も聞かなかったし、確認もしなかった。

謎は謎のままで、が社内の安定した空気だ。

なんでも面白がって話題を作って

法螺話にしてしまうだけだ。

 

事実は、極度の潔癖症で

共同風呂やサウナが嫌いなだけだ。

大工時代にちょっといたずら書きを入れただけで

全身から墨の匂いを発するような刺青もなく、

暴走族出身の組の幹部でもなく、見た通りの

「真面目で寡黙な男」だけの事だ。

 

でも、いつも木刀を隠し忍ばせていたけどね。




写真素材 pro.foto

人気の投稿