金曜日

最近感じること


昭和60年頃までは、パチンコ店舗の2階の寮では

部屋数も少なく、相部屋も多かった。

私が入社した62年以降では、相部屋は嫌われるので

ほとんどが個室になっていたが、トイレ、お風呂は

まだ共同のところも多かった。

 

当時は家族で寮住まいのオーナーもいて、一緒に

食堂で同じ釜の飯を食べていた。

 

パチンコ産業が大きくなるにつれ、経営者にも余裕が

出来たが、それでも店舗の近くに住宅を建てて住む方も

多かった。それだけ経営には熱心だったのだね。

 

まさか、パチンコ産業がこんなに巨大化するとは。

 

店舗数も少なく、ボーリング経営にも手を出していた

会社の中には、明日明後日には店を畳む算段をして

いたオーナーも多く、三共の「フィーバー」が出る前に

廃業された方も多かったようだ。

 

その後、「インベーダーゲーム」などのテレビゲームに

影響されつつ、業界は肥大化していくのだが、といって

新規参入は少なく、限られた経営者の多店舗化が進行して

いって、ダイナム、マルハンのような全国規模の会社が

生まれるとは夢にも思わなかった。

 

新型コロナの影響下の令和の今、パチンコ店舗数は激減して

いるが、今後は業界の衰退、消滅も、杞憂に終わるかもしれない。

限られた大型チェーン店は今も強力な集客力があるようだ。

これからも資金力のある大型店舗に集約され、業界は生き残って

行きそうだ。

パチンコ産業の底辺、すそ野は思いのほか広く、日本社会の中に

娯楽としての位置づけが確かにある。侮ってはいけないね。

 

また、利権のひとつである巨大産業を戦後から続く自民党政権と

官僚たちが、自らの食い扶持を減らすことはないのだね。

 

時代はまわるか。




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