火曜日

原点 1 (昭和編)

 

以前紹介したO店長のこと。

出生は神戸市長田区番町。

 昭和のころ、大阪に「日本技術者協会」

という釘師やホール従事者などを

紹介する組織があり、早くからかかわって

いたようです。O氏も若いときはかなり

ヤンチャをしていたようですが、

早くからパチンコ屋の責任者として

活躍されていました。

 

昭和の時代は、

今の暴力団対策法がなく、民事不介入。

ホール内での揉め事は民事で解決の姿勢で、

店内でややこしい奴が暴れていても

警察は来てくれません。

必然的にヤクザにはヤクザを。

現役を雇うわけにはいかず、

その出身者や逆に元警察関係者を

多くのホールでは常用し、

揉め事はそうやって解決していました。

 

O氏は私がいた会社の用心棒的な存在で、

O氏の一家全員が店で働いていました。

O氏が店長。奥さんが賄い係として、

O氏の息子はホール主任、

O氏の奥さんの連れ子の長女は

O氏の息子の嫁になりカンター係として、

その妹(奥さんの次女)

もカウンター係として働き、

一家全員で

その店舗の給与支給の大半を

占めていました。





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