以前紹介したO店長のこと。
出生は神戸市長田区番町。
という釘師やホール従事者などを
紹介する組織があり、早くからかかわって
いたようです。O氏も若いときはかなり
ヤンチャをしていたようですが、
早くからパチンコ屋の責任者として
活躍されていました。
昭和の時代は、
今の暴力団対策法がなく、民事不介入。
ホール内での揉め事は民事で解決の姿勢で、
店内でややこしい奴が暴れていても
警察は来てくれません。
必然的にヤクザにはヤクザを。
現役を雇うわけにはいかず、
その出身者や逆に元警察関係者を
多くのホールでは常用し、
揉め事はそうやって解決していました。
O氏は私がいた会社の用心棒的な存在で、
O氏の一家全員が店で働いていました。
O氏が店長。奥さんが賄い係として、
O氏の息子はホール主任、
O氏の奥さんの連れ子の長女は
O氏の息子の嫁になりカンター係として、
その妹(奥さんの次女)
もカウンター係として働き、
一家全員で
その店舗の給与支給の大半を
占めていました。
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