金曜日

平成3年9月

 

田舎のパチンコ屋を辞め、

全国紙のスポーツ新聞の求人欄から

電話を掛ける。


ある都市のパチンコ店の求人だ。

幹部候補、店長求ムとある。


電話先は、その会社の社長が出られた。

こちらの転職に至る経緯や、私の自己アピールが

良かったのか、「採用」ということで、

会社が借りている賃貸アパートに入居の承諾を得、

引っ越しの手配だ。

引っ越し費用はもちろん会社負担。

旅費も後で清算してくれるという。


4トントラックいっぱいの荷物になり、

未知の地、

まだ見ぬ部屋、

見知らぬ会社、へ送った。

受けるほうも送るほうも、今から考えると、

たいしたものだ。

 

勝手知ったる仕事なので、業務上の大きな

問題点はないと思っていたのが、甘かった。

 

社長は40才前後でまだ若く、パチンコ業界での

経験も浅く、手探りで店舗の経営を始めたようだ。

営業のノウハウは知人から指南を受け、理想が高い。


特に釘調整に対しての要望が大きく、

1コースは何割、2コースは何割、3コース・・・等々。

稼働もばらつきがあり、確率の収束は日ごとでは

出来ないと、私が返答すると、納得できず、

翌月からメーカーからの紹介でもう一人、

「釘が叩ける」という人間を連れてきた。

私と競わせようと考えたようだ。


「釘師」にも経験の長さや技術力など、ピンキリで、

今から思えば当時の私や、もう一人の彼も

「たいしたことなく」

経験の浅い、能書きだけの「釘師」だったと思う。


そうこう会社は試行錯誤していくうちに、

この社長は体調、精神的に変調を起こし、

会社の経営が、たちゆかなくなってしまった。


商売は何でもそうだが簡単にはいかないね。




写真素材 food.foto

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