妻は韓国生まれの同年齢で渡日して30年は経つ。
一緒になったころは日本語もままならず、
それでもある市のパチンコ店で夫婦社員として入寮勤務した。
日本語もできない人間を雇っていただいたのだから感謝しかない。
寛容な世の中だった。
平成3年のころだ。
その当時はまだ留学生のパチンコ店でのアルバイトは多く、
最初に入寮勤務した店舗ではアルバイトは全員外国人だった。
マレーシア、韓国、中国。
食堂では英語、韓国語、中国語が飛び交い国際色豊かだ。
1Fはパチンコ店、2Fは中華風のアジアンレストラン、
3Fからは駐車場のちょっとしたペンシルビルだった。
それからまた同じ町の準大手の大型店舗へ転職後、
妻が妊娠したため、半年ほどで退社し、
違う町の賃貸マンションへ。長女はそこで生まれた。
しかし若いときは何も怖くなかったんだね。
写真素材 pro.foto
0 件のコメント:
コメントを投稿