月曜日

根性

 

中学生になって、今までおとなしく

色白の坊っちゃんだったのを

一念発起し、部活動で野球部に。

 

私の学年では1クラス40人で

14クラスまであった。

 

まだまだ、こどもが多い時代だ。

 

当時は運動部では野球部がダントツ人気で

新入部員の1年生が100人ほど集まっていた。

 

多すぎて練習にならないため、

毎年のことだが、

部員減らしのためシゴキが始まる。

 

3月まで小学生の子供とひげ面の

中学3年生では体格差は歴然で、

 

グランド百周。

腹筋百回。

腕立て百回。

 

私は泣きながら、何とかやろうとするが、

自力では10回も出来ない。

みかねて先輩が足を押さえ、腰のベルトを

引っ張り、手伝ってくれた。

 

翌日に50人になり、

1週間後には20人ほどの適正人数になり、

正部員となる。

 

顧問の先生方も大変だった。

元旦の1日だけ休部し、

364日練習に励んだ。

こどもの体で、柔らかい軟式球でも

肩が出来ておらず、腕が上がらない。

それでも我慢して休まず、毎日練習に参加した。

 

足も速くなり、肩も強くなり、

高校の進学時には野球進学のお誘いも

受けたが、自分では常に身体的に

違和感があった。

 

短距離走では早いのだが、

中長距離走がぜんぜんだった。

息が苦しく、

瞬発力はあるのだが、持久力がない。

 

高校1年では柔道を始めたが、

その時も乱取りの3分の息が続かない。

 

やはり「俺には根性がない」と

以降、運動をやめた。

 

中学3年生の学校の身体測定時、

順番に胸に聴診器を当てられた時、

巡回の女医が「雑音がする」

何十人のなかから瞬時に

聞き取れたのだから名医だった。

 

通常は心臓の大動脈弁は三枚あり、

私の場合は生来の二尖弁で、

おそらく幼少のころから

心臓からの血流の流れが

悪かった可能性もある、と主治医から。

 

子供ころから感じていた違和感が

40年以上たって氷解した。

 

「根性がない」のではなく、

心臓がわるかったのだ。




写真素材 cg.foto

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