日曜日

ルーツ


私の祖父が朝鮮半島から日本に渡って

きたのは1930年ごろだと聞いています。

1910年に日韓併合ですから、

農地を奪われ仕方なく渡日したようです。

今の韓国の慶尚南道鎮海市の田舎で

小作人でした。

 

文盲の人でしたが、早くから日本で商売し 

人の嫌がる仕事も、なんでもしたそうです。

5人の息子を大学まで行かせて

周囲からも信頼され、祖父の住居の周辺に

自然と集落ができたぐらいでした。

 

祖父母は将来、祖国へ帰るつもりで、

一番上の叔父(長男)、私の父(次男)を

韓国へ留学させました。

父の話では、玄界灘を密航船の船倉に

もぐって渡航し、田舎の親戚に寝泊まり

しながら釜山の学校へ。


祖父からの仕送りもあったそうですが、

私の父は要領が悪く、食べるのもままならず、

よほど当時の苦労が身にしみたのか、

その後好んでは韓国へは行きませんでした。

 

当時、朝鮮人は皇国臣民ですから

昭和20年の敗戦まで日本人でした。

 

商売も順調にいっていたようですし、

生活基盤は日本ですから、

そのまま祖父母の考えは変わり 

子供たちを順番に日本の大学へ送り

定着したわけです。

 

私は在日の3世になるわけですが、

在日の多くの子弟たち同様、

通名(日本名)を名乗り、日本の学校教育を

受け、在日であることを隠しながら

成人まですごしました。

 

多くの韓国系の在日に共通するのは、

子弟への民族教育が、希薄ではないか

ということです。

それだけ長い年月の日本の皇民化教育と

同和政策が功を奏した、ということかもしれません。

 

私に友人がいないのは、性格的なものと

素性を明確にしないまま少年時代を

過ごした友人たちや自分への「引け目」「気まずさ」

みたいなものがあるように思います。




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