私の8歳の記憶だ。
母の実家は神戸三宮の新聞会館という
ビルの裏手だった。
ケミカルシューズの工場、販売が
密集する集落だ。
人が3人並べばいっぱいの狭く
足元がゴツゴツの通路を挟んで、
同じような長屋がずらっと並んでいた。
トイレは共同だった記憶がある。
いつも酸っぱい臭いがしていた。
実家の二階に上がる階段は
「はしご階段」だった。
一階は入り口に土間があり、
そこにはダンボールに
詰められた商品が積まれ、奥には
4畳半くらいの部屋があって、
白黒のブラウン管テレビがあった。
テレビを見に来た近所のねえちゃん達が
絶叫している。
GS(グループサウンズ)全盛の時代だ。
夢中で「テンプターズ」を観ている。
ある日、祖父が亡くなった。
その日の夜から、どこからかやって来た
野良猫が住み着いた。
その後、ここは1995年の
阪神淡路大震災ですべて消滅した。
写真素材 pro.foto
0 件のコメント:
コメントを投稿