2004年の規則改定により、パチンコの
区分わけがなくなった。
それまでは、第1種から第4種まであり、
1種はデジパチフィーバー機。
アタッカー内のVゾーンに入らなければパンク。
2種は羽根物。
こちらもVゾーン通過で継続し、
3種は権利物。
2回権利、3回権利と出玉の多さが魅力だった。
4種は一般電役。
複数の役物や電チューアタッカーがあり、
スピード感があった。
3種権利物タイプなどは、釘の調整もまだ
行政からの監視の目もゆるく、ヘソ下の賞球口の
2本並行釘を斜めに下げて、入らないように誘導し、
ベースを極端に下げていた。
3回権利物ではニューギンが強く、ミルキーバーや
カーニバル、キューティーバニーなどが人気で、
売り上げも群を抜いていた。
玉箱も大量出玉に合わせて、フィーバー機の
3.000個箱では間に合わず、4.000個箱が
主流になり、ホール係を泣かせた。
4.000個箱に出玉をいっぱい積め、
3~4個抱えて走り回ったものだ。
腰の負担を訴える係員も多く、小型の台車が
使われ出した。
ホールの通路は出玉で大量に箱積みされ、
勝ち客の優越感を満たした。
シマの中を歩くのも大変だった。
パチンコ店は客であふれていた。
1990年代はバブル崩壊、95年は阪神淡路大震災、
オウム真理教のサリン事件、世の中は混沌とし、
この世代は「就職氷河期」といわれ、「失われた10年」が、
今や「失われた30年」に。
それでも、パチンコ業界は、したたかに業績を上げていた。
だったかもしれない。
写真素材 pro.foto
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