月曜日

年次休暇


会社によっては福利厚生への捉え方は

大きく違うだろうが、私が過去に在籍していた

会社の大半は、ほぼ一緒だったので、

業界の全体値として見てもいいだろう。

前提として、一般社員ではなく、店舗長としての待遇だ。

 

店休日が組合の申し合わせで、月4回だったころは、

4×12で48日(年間)。

有休の買取りもなく、

 

「有給休暇は万一のための休暇で、取得は認めない」

 

年に1度有休用紙を本社経由で上長から配布時、

彼は笑いながら、目の前で白色の修正液で有休日数を

消しながらそう言った。

 

月4回のうち、1日は業者による店舗美装(清掃)がある。

当時はまだ入替の頻度も少なかったが2、3か月に1度は

入替作業と、機械調整があり、それで1日がつぶれる。

 

担当店舗は店長(私)、副主任の2名体制だったので、

交代で店休日に出勤しても、年次休暇は40日以下だった。

公休出勤手当、残業手当は全て役職者手当に含まれるという

搾取を当たり前に、滅私奉公を前提とした給与体系だった。

当時で額面40万円前後。手取りで30万少々だった。

 

その後、平成の7、8年以降くらいから、

組合の申し合わせの店休日は、大手チェーン店の抜け駆けで消滅し、

全国のかなりの店舗は年中無休となってしまったが、逆に

現場では交代で休み易くなった。

 

月5回の公休、年次有休消化6日で66日/年前後。

 

平成の中ごろ以降からは

月6回、年次有給10日で82日/年前後。

 

1年選手も10年選手も同じ感覚なのが業界の怖いところだが。

 

これくらいが、求人募集などを見ての各社平均値かな。

令和の今、業界も廃業店舗が多く、多くの若い人材は

他業種へ流出していったことだろう。

 

ちなみに私は30年以上の業界歴で有休を消化したのは、

2度の大きな手術の時だけで、

辞める年まで週休制だったので、年間52~3日。

辞めると決意した年度に2度有休を取得し、海外へ行った。

 

業界在籍時の最高年棒は1620万円。

系列の清掃会社を含めて、1年間だけだったが。

昭和62年に業界に入った時の店長は

月給50万円、毎月B金(小遣い)50万の

100万円。年収1200万円。

準大手にいた時の上司の統括部長は

後で聞いたが、年収2000万円だった。


関東と関西では、かなりの開きはあると聞くが

一般の職種よりは上位になるだろうけど、

在籍年数は短い。退職金制度もないのが大半だ。


業界の中で、何度かあった遊技機の撤去問題の時は、

いつも経営者はリストラ(人材削減)を謳い始めるので、

その都度、自らの給与も下げ、年収900万円前後。

 

パチンコ業界で35年間。会社は4回変わった。

変わるたびにリセットされ給与は下がったが、

日本は失われた30年と言われる中、

私の30年は心身共に削られはしてきたが、

金銭的には苦労はしなかったことは幸いだと思う。 




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