金曜日

刷新


平成の5年、6年くらいまでは、

どのホールも従業員は店内で喫煙していた。

両替機の上に飲みかけの缶コーヒーを置いて、

呼出しボタンでトップランプが点灯されれば、

我先にと駆けつけた。それが普通だった。

 

「パチンコ」はサービス業だ、と自覚・自認しだした

頃合いから、お客様の前で「飲食・喫煙」は禁止のお触れが

オーナーから出だし、一気に各店へ広がった。

 

同時期に店内マイクでの連絡もインカムマイクに移行し、

係員はイヤホン、マイク、遊技台の鍵束に、手には清掃用の

ダスター(雑巾)を持たされ、役職者は、係員を順番に

たばこ休憩にまわすのに、手間をとられた。

 

1人5分で、5人もいれば、それだけで30分かかる。

休憩中は、役職者がバックアップするため、他の仕事が出来ない。

 

この時分は、役職者数も少なく、私が担当していた店舗では、

私(店長)と中年の副主任の2名だけだった。

古株社員は勤務過多の役職者昇格は敬遠していた。

 

この頃よりホールはパチンコバブルに入り、一気に売上も

上がり、担当店舗280台では、時間売りが200万ほどあった。

 

キングサンド(エース製の千円サンド)には千円札が、

どんどん投入され、シマ端のストッカーにすぐに、

いっぱいの千円札が溜まる。

放置すると、札が流れるレールにお金が詰まってしまう。

 

トラブル処理、金銭回収、特殊景品の購入で

目がまわり、たばこ休憩は毎日、日替わりで一日班長制とし、

各自で休憩を回すよう指示した。

 

当時はまだ、店休日が月4回あったので

なんとか、しのげた。

 

社員も従来の中高年齢層から、

役職を望まない「のんびり社員」は排除し、

一気に新卒採用、若手切り替えになった。

 

会社の指示で個別に社員面接し、

ベテラン社員8名の退社勧告をした。

 

平成4年以降から遊技機はCR化に加速し、

業界内部も経営者の世代交代が進み、

旧態依然の慣例や古い体質が

一変していった時期だった。




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