金曜日

争い③


二足の草鞋生活は7~8年続いた。

清掃会社の方は私が一人、係長に抜擢し、

日々の管理は彼に任せた。

彼とは今も付き合いがあり、独立して頑張っている。

 

そのうち、糖尿と躁鬱の持病のある長男もパチンコ業の専念

で元気になり、私は、パチンコは長男を社長として立て、

清掃会社は次男を社長として助けながら、無難にやって来た。

 

その後パチンコ業には長男の息子が入社したころから、

兄弟間の確執が父親を挟んで本格化していく。

売上収入の格差は、P店と清掃会社では

大きく、次男はもとより清掃会社を継ぐにあたって、

父から別案件の不動産や現金を補填してもらう約束で、

パチンコ業から身を引いたのに、父親は約束を反故にしたらしい。

齢80だが、引退する気は毛頭なく、お金の執着心は強かった。

 

次男(嫁)は黙ってはおらず、会長(父)も約束を反故した手前、

引け目もあったのだろう。

いったん分けた会社に長男、次男がまたそれぞれ持ち株を半分ずつ

分配し、長男は清掃会社からの報酬を、次男はまたパチンコ店に

副社長として復任し、自分の長男を入社させた。

 

それ以降毎日のように社内で

長男(社長)次男(副社長)の争いに、

今度はそれぞれの嫁、息子を巻き込んで、

私はシーソーの支点に立たされ、

左右のバランスをとるために行ったり来たりして来たわけだ。

 

「金持ち喧嘩せず」とはならず、株持ち分は50:50のため、

「裁判」で双方の主張をしていくこととなった。




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