二足の草鞋生活は7~8年続いた。
清掃会社の方は私が一人、係長に抜擢し、
日々の管理は彼に任せた。
彼とは今も付き合いがあり、独立して頑張っている。
そのうち、糖尿と躁鬱の持病のある長男もパチンコ業の専念
で元気になり、私は、パチンコは長男を社長として立て、
清掃会社は次男を社長として助けながら、無難にやって来た。
その後パチンコ業には長男の息子が入社したころから、
兄弟間の確執が父親を挟んで本格化していく。
売上収入の格差は、P店と清掃会社では
大きく、次男はもとより清掃会社を継ぐにあたって、
父から別案件の不動産や現金を補填してもらう約束で、
パチンコ業から身を引いたのに、父親は約束を反故にしたらしい。
齢80だが、引退する気は毛頭なく、お金の執着心は強かった。
次男(嫁)は黙ってはおらず、会長(父)も約束を反故した手前、
引け目もあったのだろう。
いったん分けた会社に長男、次男がまたそれぞれ持ち株を半分ずつ
分配し、長男は清掃会社からの報酬を、次男はまたパチンコ店に
副社長として復任し、自分の長男を入社させた。
それ以降毎日のように社内で
長男(社長)次男(副社長)の争いに、
今度はそれぞれの嫁、息子を巻き込んで、
私はシーソーの支点に立たされ、
左右のバランスをとるために行ったり来たりして来たわけだ。
「金持ち喧嘩せず」とはならず、株持ち分は50:50のため、
「裁判」で双方の主張をしていくこととなった。
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