木曜日


子供のころの夢は?

母親によれば、自分には記憶はないが、幼児の頃はタクシーの

運転手だったようだ。車を運転することに憧れていたのだろう。

 

10代の頃は「まんが家」になりたかった。

中学生新聞の4コマ漫画の投稿欄に掲載されたこともあったっけ。

昭和47~8年くらいまでは、朝日新聞に「サザエさん」も

まだ掲載されていたように思う。

 

手塚治虫はいつの時代も、どの作品もぜんぶ好きだった。

「サイボーグ009」や「仮面ライダー」の石森章太郎。

「サブと市」も良かったね。

 

「オレは鉄平」のちばてつや。「のたり松太郎」は笑った。

望月三起也の「ワイルド7」は絵もうまく設定が良かった。

「天才バカボン」の赤塚不二夫、さいとうたかをの

「ゴルゴ13」、松本零士は「男おいどん」のサルマタケ。

 

藤子不二雄は「パーマン」や「忍者ハットリくん」だ。

他力本願の「ドラえもん」はダメだ。

「ハレンチ学園」の永井豪、「デビルマン」は興奮したね。

「鉄人28号」は横山光輝。三国志・史記ものも楽しめた。

「マッハGOGO」や「ハクション大魔王」の吉田竜夫。

タツノコプロは影響力があったね。

白土三平の「カムイ伝・外伝」も面白かった。

 

どの作家も沢山の作品があり、掲載された週刊誌も沢山あった。

記憶にあるのは、兄が買っていた「少年画報」「冒険王」。

少年キング・チャンピオン・サンデー・マガジン。ジャンプは

すこし後か。

昭和40年代以降は、日本は高度成長時代。なんでも次から

次へと消費されていき、次から次へと新しいものが生まれていた。

世の中に勢いがあったんだね。

 

だが、子供ころあんなに好きだった「まんが本」は成人以降には

ほとんど読まなくなった。

青年、中年期は仕事、育児に追われていたせいか。

興味がなくなった。

 

その後50歳の時、2週間の手術入院期間中に、手持ちのiPad

ebookを大量に購入してからは、小説や漫画をまた読みだした

のだが、それも一過性だった。

40代にした目のレーシック手術で、普段の生活には気にならない

程度の老眼だが、小さな画面や紙面では少し見えにくく、朝の大きな

紙面で読む新聞以外は活字全般に距離があいてしまった。

 

今では活字には、ほとんど触れあうことはなく、読み書きは、この

ブログと机上にあるパソコンでのネットサーフィンだけだ。

 

いまだに通信制の大学で学ぶ同窓生もいるが、衰えない向上心は

素晴しい。

 

死ぬ前に実現できなかった「夢」を叶えたい、と簡単には言えない

が、「まねごと」程度も良いので、60からの手習いとして、やりた

かったことを、一つずつ実現していこう。

 

しかし若い時は「金はあるが、暇がない」とぼやいていたが、

今は「暇はあるが、金がない」。

世代感覚が反対になってしまったが・・・

これは言い訳にはならないだろうね。




写真素材 pro.foto

0 件のコメント:

コメントを投稿

人気の投稿