金曜日

老人


今朝は5時に起きた。前夜、23時頃に寝てしまったからだ。

最近の睡眠時間はきっかり6時間だ。

22時に寝ると4時に。24時なら6時に。

目覚ましの鐘がなる前に目覚める。年寄りの早起きは本当だね。

 

枕もとで大竹まことのラジオをYouTubeで聞きながら、眠くなる。

スマホを消すと、すぐに眠りにつく。

 

11年前の心臓手術のあと2年間、リハビリのため毎朝4キロの

ウオーキングを日課にしていたが、思えばその間、体調的には芳し

くなかった。毎日、睡眠時間が短く、早朝からの運動は、冬季は

汗をかいて体が冷えてしまう。春からは花粉や黄砂で、いつも

鼻炎気味だった。夏季は大量の汗で体がだるくなり、健康のための

運動を毎日続けることがプレッシャーになり、疲れてしまった。

 

それからは週末だけ自転車に乗り、近隣の山道を走った。

琵琶湖近辺を周遊していたが、60を過ぎたころからめっきり運動

量が減って、身体を動かさなくなった。一人での行動では飽きたら

終了なので、毎朝のウオーキングも、喘息で中断したジョッギングも、

マウンテンバイク、ミニベロ(折り畳み自転車)でのポタリング(散策)

も手術後の10年は続いたが、パート仕事に変わった頃から体力の低下も

伴って、遊び心が薄れてきたのだろう。やらなくなった。

 

同時期に長年勤めていた会社を辞め、社会とのつながりが切れた。

 

近所のスーパー銭湯、早朝の打ちっぱなし(ゴルフ練習場)などは白髪の

高齢男性で賑わっている。

用事で役所に行っても、妻と近所のスーパーへ買い出しに行っても、昔は

平日の朝はどこへ行っても閑散としていたと思うが、しかし、今は朝から

どこへ行っても人は多いね。それも年配者ばかりだ。

 

自分が子供の頃(1970年)は、60才は、じじいだった。

男性の平均寿命は70才、女性は75才くらいだったか。

それでも戦争を生き抜いた当時の大人たちは、「長生きになった」と、

感心していた。

 

時間は誰にも等しく経過していくが、これからの年が10年に、

10年が1年になるやは、死期が近づいたときに感じることか。

 

肉体は老いて行っても、精神年齢は若く維持できるはずだ。

人が老いるのと国や社会が老いるのは別だ。

 

老人は健全な明るい未来を祈念し、未来の人のために、出来ることを

しなければならない、はずなのだが、どうも今の老いた権力者たちには

明るい未来志向は感じられない。

 

老人学(老年学)gerontology:ジェロントロジーにおいて老人層単独の

健康や寿命、福祉などの問題提起も当然だが、残すべし環境や社会との

関わり方を、人生が半分経過したころから、学び、啓蒙されていくのが

早急に必要な時代になっているのだろうと、ここ最近の醜い老人たちを

見るにつれ、自身にも振り返って、そう思う。

 

子どもの時は、健全な大人になる準備(勉強)を、

大人になれば、健全な老人になる準備(生き方)が必要なんだろう。




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