月曜日

大衆娯楽

 

パチスロの歴史

号機  19801985年(年)  昭和55年~60年

号機  19851088年(年)  昭和60年~63年

号機  19881990年(年)  昭和63年~平成2年

号機  19901992年(年)  平成2年~平成4年

号機  19922005年(13年) 平成4年~平成17年

5号機  2005年〜2015年(10年)平成17年~平成27年

5.5号機 2015年〜2022年     平成27年~令和4年

6号機  2022年~          令和4年~


私が生まれたのは1961年(昭和36年)なので、20才(成人)前後に

パチスロ0号機が誕生した。

 

「パチンコスロット=パチスロ」という形でパチンコ店へ設置されてから

40数年。6号機になるまで元号が3つも変わっている。

 

といってもパチンコ店でパチスロも打つようになったのは、2号機からの

50枚の保留メダル機能が付いた頃だろうか。

それまではあまり関心もなかった。


遊び始めの遊技の中心はいつでもパチンコで、最初は羽根物が多かったが、

慣れるにつれ、短時間で遊べる一発機に移行していった。

 

今でも遊技客の中心が中高年齢層に多いのは、オール10などの

一般電役から羽根物に移行し、フィーバー機、一発機、権利物など段階を

踏んでパチンコの歴史と共に慣れ親しんできたせいだろう。


韓国や台湾などでも一時パチンコが沸いた時期もあったようだが、

向こうではいきなり高射幸性の改造されたフィーバー機から始まった。

日本で長年培ってきた大衆娯楽としてのパチンコではなく、完全な

ギャンブルとしてスタートしたため、遊び=娯楽の感覚はないのだろう。

勝った負けたの完全な博打だ。


今後もし違う国で、新たな産業として「パチンコ」を広めるなら、

いきなりフィーバーではなく、正村ゲージが始まったころの基本的な

ゲージ構成の単純なゲーム性の手打ちから始めるのがパチンコを根付か

せる早道ではないだろうか。急がば回れだ。

手打ちの時代のパチンコ機は特許権も切れている。


パチンコ本来の面白さ、球が打ち出され、数百本の釘に弾かれながら、

入賞口に入るとチンジャラチンジャラ出てくる。

チューリップが閉じたり開いたり、奇妙な形状の役物や、目に優しい

電飾などで楽しみながら、適度な射幸性を求める。


いままでパチンコがなかった国でやってみたいね。

100円パチンコ。100円で遊べるところから始まって終わる。

過激にならぬよう。パチンコは大衆娯楽だったのだから、

そこから逸脱しないように。


でも欲望は際限なく、また同じような道、歴史を辿るんだろうね。




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