土曜日

賄い制度


私がいた会社では、平成の中頃くらいまでは、

社内では賄い制度が残っていた。

昔はパチンコ店の社員定着の一因として

「賄いの飯がうまいこと」が重要案件だった。

 

賄い係を社員として採用していた時期もあったし、

後半はパートで運営していた。

ヨシケイやコープで食材を配達してもらい、

それなりの栄養管理の上でメニューを決め、配膳していた。

田舎のホールでは2~3日に1回買い出しに行っていた。

 

今は各法人が社員の食事をどう捉えているのか、

他社のことはわからないが、私のいた会社ではある時期に

オーナーから経費削減として、賄い制度の廃止を告げられた。

 

その前より入寮者が減り、通勤者が多くなったこと、

また、従業者が若年化し、食事の好き嫌いが多く、

好んで賄い飯を食さなくなったことも理由になる。

 

入寮者も各自で食事を準備するようになった。

近隣で食材を買えれば良いが、大半の社員は

コンビニ弁当で好きなものばかり食べているようだ。

社員の健康管理の面や福利厚生を考えれば、

賄い制度は、私個人は必要だと思っていたが、現実は厳しい。

 

賄いのおばちゃんとの世間話。

社員とご飯を食べながらの雑談。

もう同じ屋根の下で同じ釜の飯を食うことが

なくなったのは寂しい限りだ。




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金曜日

たばこ


パチンコ店の景品では特殊景品に次いで

多いのがタバコの交換だ。専売公社の時代より、

パチンコ屋は大得意の客だったろう。


毎月けっこうな量が出るので、過去に何度かあった

値上げの時は多めに発注納品されるので、

支払いも多かった。

千個単位の発注なので値上げ前は

1000万以上の支払いだったように

記憶している。

大口の発注にはリベート(戻り)もあった。

 

田舎のホールでは2階の空き部屋を

煙草の倉庫代わりにしていたので、

千個単位の大きなダンボールを何個も

持ち上げるのも大変だったが、

当時のタバコ屋の可愛い看板娘がよく配達に

来ていたので、男子社員は黙って、

2階まで持ち上げていた。

当然、私も手伝った。

 

大阪の店舗では、当時250円だった

セブンスターの2箱が盗難に遭い、

管理不足ということで担当課長が

全額弁済させられた。2千個なので50万円だ。

それ以来、極力在庫数は減らし、カウンター内で

保管処理できる数量で回すようになった。

 

パチンコとタバコの結びつきは強い。

令和2年4月からの健康増進法以降でも

遊技客の喫煙率はまだまだ高く、

専用の喫煙ルームの設置など、

ホールは喫煙者にはまだまだ優しい。

 

私はタバコを止めてからもう10年

以上なので、価格もわからない。

あんなに喫っていたのに今は、

横で喫われると腹が立つ。

勝手なものだ。




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目押し


お客さんからの要望でスタッフはパチスロの

リールの「目押し」を依頼されることが多かった。

今は「遊技を幇助している」ので客に依頼されても

店側が押すことは禁止だ。


北電子のジャグラーは大当たり告知のランプが

この機種の「売り」なので、ランプが点灯すれば、

すぐに呼ばれた。適当に打っていればそのうち、

リールは揃うが、揃うまでにコインを無駄に消費してしまう。

 

見える人には簡単だが、動体視力、見る気力も衰えた

高齢者はハナから他人に押してもらう気満々だ。

 

私もパチスロはあまり打たなかったので

目押しが出来なかった。

覚えたのは、大東音響の「キングガルフ」という

機種にハマってからだ。

 

メーカーが最初から強制的に連チャンを仕込んだ

「メーカーB」だったので、当りが確定すればリールが

滑ってきて大当たりになるが、何度もやっているうちに

リールに書かれた色目が見えてくる。


あとはタイミングで押していくだけなので

1度1機種で見えるようになると、他機種でも

すぐにコツを掴むことが出来る。

 

パチスロはこういったところがパチンコ機と違い

自分が技術介入できるようなゲーム性が受けたのだね。

 

たまに依頼されて押しても、はずしちゃうと、

ちょっと「はずかしい」けどね。




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