金曜日

争い③


二足の草鞋生活は7~8年続いた。

清掃会社の方は私が一人、係長に抜擢し、

日々の管理は彼に任せた。

彼とは今も付き合いがあり、独立して頑張っている。

 

そのうち、糖尿と躁鬱の持病のある長男もパチンコ業の専念

で元気になり、私は、パチンコは長男を社長として立て、

清掃会社は次男を社長として助けながら、無難にやって来た。

 

その後パチンコ業には長男の息子が入社したころから、

兄弟間の確執が父親を挟んで本格化していく。

売上収入の格差は、P店と清掃会社では

大きく、次男はもとより清掃会社を継ぐにあたって、

父から別案件の不動産や現金を補填してもらう約束で、

パチンコ業から身を引いたのに、父親は約束を反故にしたらしい。

齢80だが、引退する気は毛頭なく、お金の執着心は強かった。

 

次男(嫁)は黙ってはおらず、会長(父)も約束を反故した手前、

引け目もあったのだろう。

いったん分けた会社に長男、次男がまたそれぞれ持ち株を半分ずつ

分配し、長男は清掃会社からの報酬を、次男はまたパチンコ店に

副社長として復任し、自分の長男を入社させた。

 

それ以降毎日のように社内で

長男(社長)次男(副社長)の争いに、

今度はそれぞれの嫁、息子を巻き込んで、

私はシーソーの支点に立たされ、

左右のバランスをとるために行ったり来たりして来たわけだ。

 

「金持ち喧嘩せず」とはならず、株持ち分は50:50のため、

「裁判」で双方の主張をしていくこととなった。




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争い②


清掃会社の方は私には、まったくの未経験なので会社への進言も

なにも、右も左もわからない状況だった。

社内でもパチンコから来た新参者のため社員も様子見だった。

 

仕事を理解するには、社員と同様にシフトに入って、同じ作業を

経験しなければわからない。

 

清掃業の朝は早い。し尿の収集は6時には出発する。

大型ごみの回収・市内のゴミ回収は7時から始まる。

パチンコ店の閉店は23時。報告・指示終了後24時に

帰宅し、翌朝清掃会社へ出社する生活が続いた。

 

し尿の収集は原則3名だが、2名で行っていた。

助手としてバキュームカーに乗り込み、午前中に終了する。

 

大型ごみ回収は、こちらも原則は3名だが、2名で経費削減だ。

助手として、事前に連絡のあった不要家具やベッドなどを、ほぼ

一人でパッカー車へ放り込み粉砕していく。腕や指を挟まれ切断

した社員もいる。油断大敵だ。

 

夜間はホテルの浄化槽清掃・汚泥の抜き取り・処理なども経験した。

し尿も、汚泥も、生ごみも、場合によっては手でつかんで処理もした。

営業にも回った。業者組合にも出席した。何も厭わず何でもやった。

 

オーナーからの要請で、経費削減、給与カットをしなければならな

かったからだ。

 

市内のごみ回収は、私が心臓手術のために数か月間職場離脱したので

以降は機会がなく経験しなかった。

 

ある日、ごみ回収車が人身事故を起こした。相手は自転車に乗った

主婦で、けがの程度は軽いとの報告だったが、地元のやくざの連れ

だったようだ。

事故当事者が、あいさつに伺う旨を伝えると、「事務所に来い」と

云われた様だ。

「事務所」に行くのは通常ならお断りだが、被害者側の指定なら

仕方がない。腹を固めるしかない。

菓子折り、缶ビールを2ケース購入し、当事者と私2名で向かう。

車内で万が一の時の打合せをし、指定の住所に。

 

何のことはない。被害者側の自宅だ。主婦の連れはたしかに一般人

ではないが、まだ若く修行中のようだ。治療代、休業補償、慰謝料など

あれこれ言ってくるが、こちらは「保険会社へ一任」とだけ伝えて、

世間話をして帰って来た。

保険会社には、かなりごねていたようだ。




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争い①


前職の会社では系列にK市指定の清掃会社も経営しており、

経営陣(次男)からのたっての要請でパチンコ業と合わせて

私が兼任していた。

 

パチンコ業の方はブログにも書いたが(奮闘記1~3 平成編)

私の前任者が会社に暴力団関係者を取り込み、10年間近くに

わたって、その組織のフロント企業のような役割を担わされて

きていた。

オーナー自ら招いた結果ではあるが、店舗の業績は危険な状態に

なっても手を切れず、私の面接前の下見の時点で客数の減少は

顕著で、何よりもホールの雰囲気、空気がひどくて、一目で客筋

の悪い店舗だと感じたくらいだ。

 

取引業者も個性的な個人経営の機械屋で、遊技機の選定も含めて

任せっきりだったようで、前任者からの引継ぎをする段階で、

早速私と揉めた。

のちに聞くと「生意気な奴だ」と地域で私は有名になったようで、

後々思うと「怖いもの知らず」だった。

 

パチンコ業の方が落ち着いてきたころ、次は清掃会社という事で、

当時専務だった次男に請われて行ったのだが、社長(父)は

不満だったようだ。現状で満足している。よそ者に会社をかき

回されたくない、と思うのは当然だろう。

私も今さら本業以外の仕事に時間と神経を使うのは嫌だった。

 

その後、次男が社長としてこの会社を継ぎ、長男はパチンコ業の

社長として会社を二つに分けたのだが、以降、両社に籍を置く私が、

父(会長)、長男、次男の三者の板挟みになってしまい、親族争い

の渦中にまともに巻き込まれていくのだった。



 


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