木曜日

小遣い


K地区では本社の下にテナントを置き、

7階までが駐車場で8回の最上階に本社を置いていた。

Fのテナントは当然「本店」となる。

 

この本社ビルのすぐ近くに社長宅があった。

閉店間際、社長がふらりと本店事務所に顔を出す。

 

「店長、金庫から100万、貸しといてくれるか」

 

いまから市内の花街へ遊びに行くようだ。

「はい。どうぞ」

店長は毎回のことなので、準備している茶封筒にいれ、渡す。

社長は、封筒の口を開け、10枚の万札を店長に、

「こづかいや」

 

本店の歴代の店長は、近所に社長宅もあり、上が本社もあって、

常にプレッシャーにさらされるが、このような恩恵もある。

社長の花街訪問が多い月は、

「こづかい」のほうが本給より多かったようだ。

 

私は違う地区の担当が多かったので

一度もそんな恩恵に当たることがなかった。

数年後、K地区の担当になった時には、

「こづかい」を期待していたのだが、

市内の繁華街の店舗改装中に社長とよく行った

近所の立ち食いそばでは毎回、

「払っといてくれ」

小銭は持たないようで、販売機で飲料を買う時も

「出しといてくれ」

 

昭和の時代は、報奨金として、全店店長を集め、

封筒が立つような現金を配っていたようだが、

私がこの会社に入ったのは平成以降で、

その種の恩恵にはまったく当たらなかった。

 

翌年のお正月、珍しく社長から、その場にいた数名に

お年玉が出た。

ここ数年、会社からのお年玉制度もなくなり、久しぶりだ。

 

うすい・・・・

 

開けると、

千円札が1枚・・・

 

全員で「さすがやな」

だから、こんなに会社が大きくなっているんだよね。 




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火曜日

キムチ


ある時期からホールに冷蔵庫を置き、キムチの販売を

始めたことがあった。社長からの指示だ。

 

大阪地区では端玉の処理が500円切り

(500円は換金、499円は端玉として一般商品と交換)

だった、こともあり499円以下の商品の充実をはかっていた。

 

多くはタバコの交換かペットボトルのお茶や菓子だが、

カウンター嬢は社長からの強い要望があり、

まず、キムチを薦める。

 

当初は珍しいこともあり、よく売れたが、臭いも強く、

毎度キムチの持ち帰りというわけにはいかず、

徐々にフェードアウトしていったが、販売当初より、

社長からのキムチ連絡で辟易してしまった。


「今日はいくつ出た?」

「キムチの反応はどうだ」

「もっと売れるように工夫しなさい」

ひっきりなしに携帯にかかってくる。


パチンコの営業には、めったに電話もかけてこない人が、

キムチの売上にはシビアだった。

 

似たような事例で、当社の系列店でもない店舗に、

その店舗の営業の底上げのため、

夜間、釘の調整を含めて応援に行かされたこともあった。

 

その店舗の社長はまだ若い女社長だったが、

うちの社長の「愛人」と聞いた。

 

今回のキムチ販売会社も同様に、「愛人」のようだ。

 

まったくの公私混同だが、誰も何も言えない。

 

いずれにしても一過性なので、

熱が少し冷めるまで看過するしかない。

しかし、閉店後のホールは、にんにく臭かったなあ。




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月曜日

ネズミ捕り


いつもの国道で、いつものネズミ捕りがある、

知られた箇所があった。

自分でも認識していたし、毎回注意して走行していた。

しかし、

考え事をしていて、失念してしまった。

「しまった!」

判っていたのに、うっかりした自分に腹が立った。

 

止められ、メーターを見せられ、30キロオーバーだ。

頭に血が昇ってしまった。

 

「右側から白いスポーツカーが追い越していった」。

 

何度も押し問答が続き、

パトカーの後部座席に移され、説得される。

自分自身に腹がたってしょうがない。

「わかっていたのに」


完全拒否。サインも認めもしない。

時間ほど経過し、

「それなら裁判所への出頭ですよ」


後日、裁判所から出頭命令が来た。

全身ピシッと黒のスーツで身を固め、

個室の裁判官の前へ。

 

当時の調書や、状況表などが読み上げられ

 

「白いセダンの・・・・」

 

「私の車はメタリックシルバーですよ」

 

「え?・・・確かに車検証には・・・」

 

担当官が私の調書を作成中に車の色を

白色のセダンと書いていたようだ。

当時は私も一歩も引かなかったので、

時間帯が夕暮れ薄暮になり、色を見間違えたのだろう。

 

たしかに「色が違う」

その場で裁判官は「けっこうです。お帰り下さい」

 

あっという間に不問となった。

 

それ以降、私は10年以上、優良運転となり継続している。





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