月曜日

ネズミ捕り


いつもの国道で、いつものネズミ捕りがある、

知られた箇所があった。

自分でも認識していたし、毎回注意して走行していた。

しかし、

考え事をしていて、失念してしまった。

「しまった!」

判っていたのに、うっかりした自分に腹が立った。

 

止められ、メーターを見せられ、30キロオーバーだ。

頭に血が昇ってしまった。

 

「右側から白いスポーツカーが追い越していった」。

 

何度も押し問答が続き、

パトカーの後部座席に移され、説得される。

自分自身に腹がたってしょうがない。

「わかっていたのに」


完全拒否。サインも認めもしない。

時間ほど経過し、

「それなら裁判所への出頭ですよ」


後日、裁判所から出頭命令が来た。

全身ピシッと黒のスーツで身を固め、

個室の裁判官の前へ。

 

当時の調書や、状況表などが読み上げられ

 

「白いセダンの・・・・」

 

「私の車はメタリックシルバーですよ」

 

「え?・・・確かに車検証には・・・」

 

担当官が私の調書を作成中に車の色を

白色のセダンと書いていたようだ。

当時は私も一歩も引かなかったので、

時間帯が夕暮れ薄暮になり、色を見間違えたのだろう。

 

たしかに「色が違う」

その場で裁判官は「けっこうです。お帰り下さい」

 

あっという間に不問となった。

 

それ以降、私は10年以上、優良運転となり継続している。





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入替頻度


遊技機の入替の費用対効果がまだ大きかった時代、

2~3か月に1度で少数台数だった入替が

月1回で、ちょっとした台数になり、それから

2週に1回、毎週入替開店と、

どんどんエスカレートしていった。

さすがに警察(所轄)も毎週となると対応に追われ

看過できなくなったので、その地区の遊技組合に要望を

だしてきた。当時から、組合の「事務局長」は、

退職警官出身者(天下り)で2年ごとに交代していた。

「入替は月1回、予約者優先」と

当時の事務局長(元警察署長)から通達が。

 

この元、キッカケを作ったのは私だった。

CRが認可されだし、使えるCR機が出だしたのを

契機に新規開店するたびに店舗の売上が上昇して

いったのだから、遊技機の入替が止まらない。


当時1台20万円台の遊技機を10台導入しても200万だ。

私の担当する店舗は、時間売上200万円の売上だ。

毎週入替をするたびに売上が右肩上がりで上がっていく。

20万円の10台の新台が一日の営業で、100万円売る。

当時の新台の回収率は20%くらいだったので、

毎日20万円回収し、10日で機械代金の回収ができた。


やればやるほど店舗の売上が向上し回収金も増えていく。

私は調子に乗ってしまい、入替申請がエスカレートしていき、

所轄から目をつけられたのだ。


まず、ハンドル固定で目をつけられた。

常連客は隠しながらコインやプルタブ(缶飲料のふた)などで

固定し打っていた。指摘され、指示書処分だ。


店舗見回りで生活安全課がひと廻りすると、

18歳未満の入場、遊技もやばい。

一度目を付けられたらダメだ。

いくらでも法令違反で挙げられてしまう。

 

元警察署長の事務局長を伴って、今回の経緯、顛末を深く反省し、

今後はないようにと、反省文を書かされ、所轄の柔道場で

小一時間ほど正座させられ、以降、事なきを得た。

 

「生活安全課には逆らえない」

「交通課には徹底して抗うけどね」




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年次休暇


会社によっては福利厚生への捉え方は

大きく違うだろうが、私が過去に在籍していた

会社の大半は、ほぼ一緒だったので、

業界の全体値として見てもいいだろう。

前提として、一般社員ではなく、店舗長としての待遇だ。

 

店休日が組合の申し合わせで、月4回だったころは、

4×12で48日(年間)。

有休の買取りもなく、

 

「有給休暇は万一のための休暇で、取得は認めない」

 

年に1度有休用紙を本社経由で上長から配布時、

彼は笑いながら、目の前で白色の修正液で有休日数を

消しながらそう言った。

 

月4回のうち、1日は業者による店舗美装(清掃)がある。

当時はまだ入替の頻度も少なかったが2、3か月に1度は

入替作業と、機械調整があり、それで1日がつぶれる。

 

担当店舗は店長(私)、副主任の2名体制だったので、

交代で店休日に出勤しても、年次休暇は40日以下だった。

公休出勤手当、残業手当は全て役職者手当に含まれるという

搾取を当たり前に、滅私奉公を前提とした給与体系だった。

当時で額面40万円前後。手取りで30万少々だった。

 

その後、平成の7、8年以降くらいから、

組合の申し合わせの店休日は、大手チェーン店の抜け駆けで消滅し、

全国のかなりの店舗は年中無休となってしまったが、逆に

現場では交代で休み易くなった。

 

月5回の公休、年次有休消化6日で66日/年前後。

 

平成の中ごろ以降からは

月6回、年次有給10日で82日/年前後。

 

1年選手も10年選手も同じ感覚なのが業界の怖いところだが。

 

これくらいが、求人募集などを見ての各社平均値かな。

令和の今、業界も廃業店舗が多く、多くの若い人材は

他業種へ流出していったことだろう。

 

ちなみに私は30年以上の業界歴で有休を消化したのは、

2度の大きな手術の時だけで、

辞める年まで週休制だったので、年間52~3日。

辞めると決意した年度に2度有休を取得し、海外へ行った。

 

業界在籍時の最高年棒は1620万円。

系列の清掃会社を含めて、1年間だけだったが。

昭和62年に業界に入った時の店長は

月給50万円、毎月B金(小遣い)50万の

100万円。年収1200万円。

準大手にいた時の上司の統括部長は

後で聞いたが、年収2000万円だった。


関東と関西では、かなりの開きはあると聞くが

一般の職種よりは上位になるだろうけど、

在籍年数は短い。退職金制度もないのが大半だ。


業界の中で、何度かあった遊技機の撤去問題の時は、

いつも経営者はリストラ(人材削減)を謳い始めるので、

その都度、自らの給与も下げ、年収900万円前後。

 

パチンコ業界で35年間。会社は4回変わった。

変わるたびにリセットされ給与は下がったが、

日本は失われた30年と言われる中、

私の30年は心身共に削られはしてきたが、

金銭的には苦労はしなかったことは幸いだと思う。 




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