月曜日

反骨


いままで経験してきた店舗での一番の売上は、パチンコ台数300台、

スロット台数40台、合計340台の店舗で、日売上の最高は正月に

3600万円を売っていた。

 

その月の平均売上は、2400万円で、その月は7億4千4百万の

売上があり、粗利(回収金)は1億円ほど。回収率は13%くらい。

遊技客の感覚では1万円使って、8700円が戻ったことになり、

広く浅くの薄利多売になるだろう。

 

最盛期によく30兆円産業とか言われたが、パチンコの売上は

お客さんに玉やコインを貸し出した金額なので、実利は粗利益(回収金)

から諸経費を差し引かれた金額だ。

当たり前だが、客が多く売上が多ければ、大変儲かる

 

個人商店で月間7億円の売上げなんて、笑いが止まらないよね。

従業員は毎日忙しく、休日も給与も少なく、泣いていたけど。

 

1店舗当たりの台数制限が外れて、1000台超の郊外店も出来た

ころなら、それなりの客入り稼働で、台売上が5万円も売れば、

日売上5000万円、月間15億円。

 

まあ、それくらいの店舗になると、土地建物、設備一式、

初期投資は、かなりの額になるが、業界的には、郊外店で5~8年

ほどの回収を目安にしていたので、他業種の感覚では驚きだろう。

 

開業は、許認可営業(公安委員会の許可)が前提なのだから、

まさに砂上の楼閣。許認可が取り消されれば、終了。

なので、上場はない。

経営者はまさに儲け時に、抜きまくる必要があるわけだ。

 

コロナ禍以降の、現在の店舗の状態は、一部の大手企業では

先に述べた客入り、売上の店舗もあるだろうが、ここ数年で6割

以上の店舗が廃業に追い込まれているように、多くのホールは

水面に口を開けて、溺れぬよう、パクパクだろう。

 

今も責任者として現役の一線でいたなら、薄れゆく頭髪もすでに

なくなって、心労で、完治した心臓病も再発していたかもしれない。

辞めて、命拾いした。

 

しかし、こんな巨大産業も「お上」のさじ加減で衰退していく

のだから、全盛期に、パチンコ経営者たちは、もっとロビー活動に

精を出していれば、状況は違っていたかもしれない。

 

日本社会での「差別と貧困」の反骨心を糧に生きてきた

在日一世、二世には、さらに政財界へ深化して溶け込むことが

厳しかったのだろう。




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木曜日

持ち出し


処女開店。予定の割数を大きく上回り、大赤字になった。

まだ、パチンコが40玉交換で損益分岐が160%の時代。

おそらく今の辛い現行の機種では、出そうと思っても出ない、

逆立ちしても出ない、500%を超える割数があった。

 

これは私が担当している店舗だったが、処女開店初日に出た

割数だ。当然、私はまだ入社もしておらず、当時の様子を

オーナーから聞いた。

 

最終のパチンコ割数は54割(540%)。

 

昭和後期より業界にいる私も、見たことも、聞いたこともない

吹き出すような、仰天割数だ。笑ってしまった。

 

当時の甘い機種とはいえ、通常の釘の調整では、どんなに

スタート釘を開けても、そんな数字は出ようもない。

ぶんぶん回しでもスタート数は物理的に決まっているし、

確率も収束することもない。

 

おそらく、スタート釘以外の天や両サイドのフロック釘も

ダダ洩れで、当時あった一発機なども、笑っちゃうくらい、

入賞口へ飛び込んでいたのだろう。

 

フィーバー機などは、昭和の後期は下部アタッカー周辺の釘を

異様に曲げて、大当たり時に出玉がサイドの入賞口にこぼれて

入るような調整をしていたが、おそらく、アタッカーが開かない

状態でも、入賞口にこぼれて、当たりにもならないのに、玉が

増えていくような状態だろう。

 

釘の経験者なら、清水の舞台から飛び降りる覚悟でも、そんな

釘調整はできない。

 

オーナーによると機械メーカーから紹介された店長で、パチンコ

初出店の素人オーナーは、「パチンコはこんなに儲からない」商売

だと、開店週間で後悔したそうだ。

 

それでもか月間、その店長に任せていたが、堪えきれずに交代

となった。通常なら初日で馘だ。社長も辛抱強いね。

 

ちなみに初日の営業時間は2時間で、売り上げは200万円。

まだ1回交換の時代だから、甘くても売上はあったのだろう。

赤字は450万円。サンタクロースがお札をバラまいたようだ。

 

大赤字で以降、客が溢れかえっていたかはなく、在籍中の1か月、

初日の大赤字を回収すべく、いきなり釘を締めこんで、せっかくの

客を飛ばしたようだ。

 

こんな釘師に託した経営者も自爆だが、時にはこんな事があるので

パチンコは面白いね。まあ、ここまでの自爆はめったにないけどね。




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月曜日

グレイゾーン


30代の10年間は本当に釘を多くたたいたと思う。

平成の初期にはパチンコ機は行政の指導もあり、新しいCR機が

毎月のように発売され、店舗も入れ替えれば入れ替えるほど、客数

は増え、売り上げが上昇するので、地区によっては、毎週のように

新台入替を行っていた。

 

所轄(生活安全課)の検査日は週二回。

入替手順は、事前に変更承認申請書を1週間前に生活安全課へ

提出し、検査日の予約をする。検査時間はわからない。

担当官次第なので、朝から夕方まで、ずっと待機だ。

 

検査が終了すると、担当官が帰るのを確認次第、そこから新台

開店に向けて、すべての釘を整えていく。

 

私は遊技盤(セル板)に対して、上から真っすぐ、横から2度の

高さになるよう手抜きせず、全ての釘を揃えていた。

20台なら初期スタートは20台、すべて同じゲージで構成する。

 

最盛期は担当店舗が8店舗あったので、毎週、かなりの新台調整を

行い、かなりの手練れになっていたと思う。

ハンマーの柄を長めの白木に皮を巻き付け、頭の角度を柄と直角に

して、効率よく叩けるよう、いろいろと工夫したものだ。

 

風俗営業法が昭和の61,2年ごろに風俗適正化法に改変された

ころより、釘の調整は構造変更になるので、「釘調整」は原則、

禁止というのが徹底されるようになった。

 

生活安全課の担当官に調整しているのを見られた時点で、即、

行政処分だ。

 

とはいえ、パチンコ屋は、いわゆる出玉の調整がなければ商売に

ならない。なので、夜な夜な(早朝に)担当者は、新台時に納品

され以降も自社に都合の良いように釘調整を行っていた。

 

行政も、ホールも、遊技客も、暗黙の了解だ。

 

閉店後や開店前、昔は清掃係や一般社員が作業をしている

合間で釘調整をしていたが、近年、SNSの普及などで、

投稿される危険や、また店内の監視カメラに調整の様子が残る

ため、録画を停止させるなどの注意も必要となってきた。

 

暗黙の了解。ダブルスタンダード。グレイゾーン。不文律。

パチンコ業界に限らず、日本社会全体に表と裏、本音と建前、

嘘が多いね。ジャニーズも、安倍晋三も、日大も。

元統一教会や日本会議の関係者ばかりは自明のカルト集団だし、

テレビも新聞も、為政者の都合の悪いことは載せない、見せない。

 

戦犯が総理大臣になるのも、福島原発事故も、いろいろな不正は、

遡れば先の戦争の責任を問わなかったことが始まりか。

 

それとも、「なあなあ」で自戒もなく、権力者たちに媚びるのが

この国の習わしなのか。

 

話がパチンコから大きくずれてしまったが、グレイな業界で、

自身は負い目、引け目を感じていたが、何のことはなく、この

日本社会で成長してきた業種(業界)でまっとうに生きてきた

だけだね。特殊で、グレイでもなく、普通に、平凡に、純白の

道を歩いてきただけだ・・・でもないか・・・かしこ。




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