金曜日

運転手3


朝の生活介護施設からのお迎え運転手の仕事もだいぶ

慣れてきた。

迎えに行く利用者にも認識されつつあるように感じる。

私の車両の利用者は最重度の知的障害が4名、重度1名、

中度名で、最重度の利用者は発語が出来ない。

 

季節は初夏の匂いを感じるこの頃だが、出発時の早朝

時間には半袖Tシャツでは肌寒く、朝昼の気温差の調整が

むずかしい。

車内の空調には、利用者からの反応がないので特に注意

している。後部には開閉できる窓がなく、こまめに空調を

入り切りしている。

 

2~3歳児を預かっている感覚だが、身体は大人で大きい。

車から突然の飛び出し、自傷・他害も重度の障害者には多い。

嚙みつきで車のボディーには数か所、歯形が付いて凹んでいる。

他人や自分に噛みつくのを注意され、車に向かったようだ。

 

普段は車内で寝てばかりの19歳の最重度の女性が、走行中に

シートベルトを外し、ドアノブを触った。

チャイルドロックがかかっているので事なきだが、油断大敵だ。

 

窓に頭部を何度もぶつけたり、叩いたり、奇声を発し、発語の

ある利用者は大声で叫び、独り言を念仏のように唱えている。

 

面接時に、車内での様子は怖がる人も多いので懸念するが、

あなたの経歴(パチンコでの業界歴)なら、ややこしい人にも

応対してきたので大丈夫でしょうと、若い時にパチプロだった

という鷹揚そうな施設長が「採用!」と太鼓判を押してくれた

のだが、思いのほか私も気にはならず、ノンストレスだ。

 

続けられるだけ続けて行きたい、と思う。




写真素材 pro.foto

木曜日

ダジャレ


明日は休日だ。気候も緩んできた、先週末は久しぶりに車を

洗った、天候次第だが、ドライブがてら中高校生の同窓生が

開店したというピザ屋へ行ってみよう。

 

あなけんの舞台にも一緒に行った〇ッチくんから、FB

開店したとのお知らせもあり、営業時間、店休日を確認した。

明日は大丈夫のようだ。

 

信楽焼・お茶で有名なところで、ここは以前より知り合いも

いて、何度かこの近辺は車で訪れていた。

 

自宅からは山あいの市道をショートカットし、瀬田川を渡り、

30分ほどで行ける。

電動アシストのマウンテンバイクでも何度も通った道だ。

 

オーナーの彼の名前は確かに記憶もあったが、学生時代は

印象に残るような接点もなく、再会しても今一つ共通の

話題がないようで心許ない。

 

屋号は「girasole_asamiya」ジラソーレ朝宮。

イタリア語で「ひまわり」の意味だそうだ。

 

名前を名乗るとすぐ思い出してくれた。

開店以降の心労で体重がかなり減ったようだ。

商売は軌道に乗るまでが大変だ。

 

オーダーを注文してから本格的なピザ窯で焼くので、

すこし出てくるまで時間がかかる。

食べるの「ジラサーレ」た。

めんごめんご、駄目んご。オヤジの発想は同じ時代に生きて

きたのだから同じになってしまう。

 

ピザが焼きあがる間、二人で昔話をした。

同じクラスだったかどうかお互い記憶があいまいだが、

共通の友人も多く、それぞれの近況も確認し合った。

 

私の家の近所の工務店でこの店舗の工事をしたようだ。

自治会の清掃などで面識もあり、世間は狭い。

テイクアウトでピザは持ち帰り、妻と一緒に食べた。

生地がしっかりしていて美味かった。

また、ゆっくり尋ねるとしよう。




写真素材 pro.foto

月曜日

大衆娯楽

 

パチスロの歴史

号機  19801985年(年)  昭和55年~60年

号機  19851088年(年)  昭和60年~63年

号機  19881990年(年)  昭和63年~平成2年

号機  19901992年(年)  平成2年~平成4年

号機  19922005年(13年) 平成4年~平成17年

5号機  2005年〜2015年(10年)平成17年~平成27年

5.5号機 2015年〜2022年     平成27年~令和4年

6号機  2022年~          令和4年~


私が生まれたのは1961年(昭和36年)なので、20才(成人)前後に

パチスロ0号機が誕生した。

 

「パチンコスロット=パチスロ」という形でパチンコ店へ設置されてから

40数年。6号機になるまで元号が3つも変わっている。

 

といってもパチンコ店でパチスロも打つようになったのは、2号機からの

50枚の保留メダル機能が付いた頃だろうか。

それまではあまり関心もなかった。


遊び始めの遊技の中心はいつでもパチンコで、最初は羽根物が多かったが、

慣れるにつれ、短時間で遊べる一発機に移行していった。

 

今でも遊技客の中心が中高年齢層に多いのは、オール10などの

一般電役から羽根物に移行し、フィーバー機、一発機、権利物など段階を

踏んでパチンコの歴史と共に慣れ親しんできたせいだろう。


韓国や台湾などでも一時パチンコが沸いた時期もあったようだが、

向こうではいきなり高射幸性の改造されたフィーバー機から始まった。

日本で長年培ってきた大衆娯楽としてのパチンコではなく、完全な

ギャンブルとしてスタートしたため、遊び=娯楽の感覚はないのだろう。

勝った負けたの完全な博打だ。


今後もし違う国で、新たな産業として「パチンコ」を広めるなら、

いきなりフィーバーではなく、正村ゲージが始まったころの基本的な

ゲージ構成の単純なゲーム性の手打ちから始めるのがパチンコを根付か

せる早道ではないだろうか。急がば回れだ。

手打ちの時代のパチンコ機は特許権も切れている。


パチンコ本来の面白さ、球が打ち出され、数百本の釘に弾かれながら、

入賞口に入るとチンジャラチンジャラ出てくる。

チューリップが閉じたり開いたり、奇妙な形状の役物や、目に優しい

電飾などで楽しみながら、適度な射幸性を求める。


いままでパチンコがなかった国でやってみたいね。

100円パチンコ。100円で遊べるところから始まって終わる。

過激にならぬよう。パチンコは大衆娯楽だったのだから、

そこから逸脱しないように。


でも欲望は際限なく、また同じような道、歴史を辿るんだろうね。




写真素材 pro.foto

人気の投稿