火曜日

フォークギター


新型コロナ禍で仕事を辞めて、失業が1年と4か月の期間中に

近くのブックオフで「親父のフォークソング集」1.000円

(中古の割に高い)、どこのメーカーかわからないミニギター

(4.500円)を一緒に購入して、たまに練習をしていた。

 

60からの手習いでもう2年以上になるので、Fコードも

なんとか押さえられ、フォークソング集の記憶のある曲も

それなりに弾けるようになったと思うのだが、一般的な

レベルではどうなのだろう。

 

それとカポタストなるものを購入したのだが、私の記憶では

6穴のゴム製だったのが、今は女性が髪をまとめる時に使うよう

な金属製のものを挟み込んで使用するようだ。音割れもしなくて

良い。ピックも購入してみたが、どうもうまく扱えない。

安価なギターが悪いのか、弾き方が悪いのか、どの音もバラバラ

に聞こえてしまう。

 

カポタスト使用は2~3フレくらいまでで、ミニギターのため、

使用すると弦の幅も広くて、弦高もあり弾きづらい。

弦の高さ調整も器具で回してみたが、高いところで合わせると

ネックのところで擦れて音がかすれてしまった。

やはりそれなりの価格の通常のギターを買わないとダメなようだ。

 

いずれにしても今はYouTubeなどでいろいろと指南してくれる

ので、なにか分からない事や、新しいことを始めるには敷居が

低くなった。便利だ。

 

同窓の友人たちは学生時代からギターを弾いているベテランばかり

なので、今度機会があったら、教えを乞うことにしよう。

 

他の楽器も挑戦したいが、専門店に行くとどれもそれなりの価格だ。

まずはもっとましなギターを購入することとしよう。




写真素材 pro.foto

金曜日

高倉健と友人


高2の夏休み、友人のGくんと神戸新開地の映画館へ行った。

私たちの学区からはかなりの遠隔地で、阪急電車三宮駅から

神戸高速線に乗り換えて遠路はるばる行った。

 

高倉健、池部良が出演する昭和残侠伝 唐獅子牡丹シリーズが

4本立てで一気に上映されていたためだ。

 

ネットで調べるとシリーズは以下

「昭和残侠伝」「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」「昭和残侠伝 一匹狼」

「昭和残侠伝 血染めの唐獅子」「昭和残侠伝 唐獅子仁義」

「昭和残侠伝 人斬り唐獅子」「昭和残侠伝 死んで貰います」

「昭和残侠伝 吼えろ唐獅子」「昭和残侠伝 破れ傘」と9作品続く。

 

このうちの4作品を鑑賞したことになるが、どれがどれかは

今観ても、はっきりしないだろうと思う。

毎回ストーリーは似ており主人公の高倉健がヤクザ稼業の欺瞞に

最後の最後に憤りを感じ、池部良と斬り込みに行くパターンだ。

 

鶴田浩二の「博徒」シリーズとは一線を画す情緒あふれる任侠

映画で、主演者は他に三田佳子、藤純子、津川雅彦や芦田伸介、

金子信雄、松方弘樹、梅宮辰夫など多彩で、面白かった。

 

弱きを助け強きをくじく任侠に生きる高倉健、池部良の立ち姿や

傘に跳ね返る雨つぶの音、登場する人物たちのジリジリするような

距離感と哀愁。最後は定番の殴り込み。帰りの電車内、二人で

高倉健とともに池部良の格好の良さにも感銘したと言い合った。

 

作品は1本90分くらいだったので、7時間ほど観たことになる。

若い時は時間がいっぱい、あったんだね。

 

ちなみにこの日は、飲酒はしなかった。

前日、Gくんは大阪梅田のライブハウスでしこたま飲んで、帰りの

阪急電車で吐き、懲りていたためだ。

でもタバコは館内で喫いながら映画を観ていた。

そういう時代だったんだね。



写真素材 pro.foto

タイムマシン2(武庫元町)


小学生の頃は家の前のガレージ倉庫のコンクリートの

壁に、キャッチボール代わりに軟式球を投げて遊んでいた。

壁の前の排水溝の上に段差があり、その段差の角を狙い投げ、

何時間も飽きずに遊んでいた。

 

その倉庫の横の砂利が敷かれた駐車場の一画には酒屋の配達

用の三輪のミゼットが置かれていた。小さくて可愛かった。

 

町中を小さなコンクリートの排水溝の川が張り巡っていて、

わたしの近所の須佐男(すさお)神社のまわりにも小さな

川があり、武庫川、尼崎港から海に繋がっていた。

 

昭和46年くらいまでは、こんな小さな川溝でもウナギが

紛れ込んでいたり、コイやフナなども川底の藻を足でかき分け

網ですくっては一杯採れた。夏場は一人で釣り糸を垂れ、

何時間もジーっと川面を眺めていた。

 

人口がどんどん増え、近くには大型の団地が続々と作られ、

土埃の道にはアスファルトが敷かれだし、ひび割れ補修の

タールが夏場には溶けて、白色のスリッポンの靴底に

くっついた。

 

須佐男神社の境内の祠の下ではノラ猫が住みついていた。

野犬狩りが回ってきて、放し飼いか、ノラ犬かわからぬが、

泣き叫ぶ犬の首に輪っかをかけ連れて行った。

 

引越し前の家はポっちゃん式のトイレで、たまにバキューム

カーのホースで汲み取っていたが、新しい一軒家の借家では

水洗が通っていて、ボイラーで沸かす風呂もあった。

 

自宅周辺には空き地がまだ残っていて、近所の男の子たちは

三角野球で連帯を深めていた。南方のピーちゃんとそのお母さん

には可愛がってもらった。このお母さんの話す怪談の怖いこと。

面白いこと。夕方になると近所の子ども達が集まっていた。

 

夜中に目覚めると白黒のテレビから月面に降り立った宇宙飛行

士の様子が見て取れた。アポロの月面着陸だ。

画像は悪いが、不思議な印象だった。

 

この頃から我が父は放蕩の道へと本格的に歩みだしていた。

それは子どもながらに感じていた。近くの立ち飲み屋で暴れ、

6才上の兄と母が「とら箱」に収容された父をよく迎えに

いっていた。

そんな影響からか兄は高校を中退学し、そのまま家出をして

しまった。連絡も無き兄のために母は、何かのおまじない

なのか、兄の靴をトイレに置き、息子の無事を祈願していた。

ウチでは靴の初おろしの時はマッチで靴底をあぶっていたが

これも何かのおまじないか。

 

近くには大きな公園(交通公園)もあり、武庫川の土手堤防の

上を自転車で海まで走った。河川敷のグランドでは皆があつまり

草野球をしていた。

 

その頃より公害や薬害などで大きな社会問題が噴出していたが、

私が住んでいたこの町は、南側の阪神工業地帯のわずか北側に

位置しながら、まだ自然も残っていて、悪くはない幼少期を過ご

せた思い出の多い場所だ。

幼馴染もまだ多く住んでおり、居心地は悪くはないのだろう。

 

頭の中の記憶は、タイムマシンに乗るかのように過去に行ける。

 

大林宣彦監督の「異人たちとの夏」を思い出す。

自分の死んだ父(片岡鶴太郎)が私(風間杜夫)に声をかけて、

昔の家に連れていかれる。映画では霊的な関係性が入るが、

セピア色の過去に戻る懐かしさや切なさは、昔住んでいた町に

帰ると沸き上がる感情と一緒だ。

少々色付けされた記憶だろうが、ふとしたことで過去の出来事が

蘇り今につながる。

 

人間の遺伝子の情報は過去から累々と繋がっているのだから

遺伝子情報の解析は過去に遡るようなものだろう。

さまざまな遺物から未来には詳細にAIに解析され、メタバースの

仮想空間で過去の世界をリアルに体感できるのだろう。

タイムマシンはすでに存在しているのだね。




写真素材 pro.foto

人気の投稿