月曜日

争い⑤


自身にそこそこの財産があっても、目の前に、手が届くところに

お金があれば、手を伸ばそうとする。

 

息子に向かって「この泥棒野郎!!」「〇メコ野郎!!」

お互いが罵り合い、掴み合いの喧嘩を始める。会社の事務所で。

 

公私混同も甚だしく、社員を巻き込んで醜態をさらすのだから、

ことが収束しても、どう経営者として社員と接するのか。

もうこの時点でこの会社の未来はないのはわかっていた。

 

その後、双方の弁護士を介して会社は大きく2分割された。

分割以降も私は次男の一家とともに、会社を支えて来たつもりだが、

60を前に辞意を伝えた。

常に誰かに依存して生きてきた次男(社長)は、徐々に私から知人の

紹介の「霊媒師」に向かい、妻や息子と共に、私には「裏切り者」と

して、辞めた後には一切の連絡もない。

 

自分の人生を現時点で振り返ると、人との縁が薄くて簡単に切れて

しまう。パチンコ業という特殊な業界にいたこともあるが、何か

因縁があるのだろうか。人間関係が希薄になっている世相である

事も確かだが、自身が人との交際に執着心がないのもあるのだろう。

 

年に一回、数年に一回でも、こちらから連絡すれば、会う段取りを

つければ、また再会(再開)するような友人もいるのだから、

これは自分自身の問題だろうね。

 

皆さま。

いずれどこかで何かの時に、思い出したら、

また気軽に声をかけて下さいね。

 

敬具。




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金曜日

争い④


弁護士を入れて裁判所に出頭し、司法上の争いまで経験するのは

一般的にはあまりないだろうね。私も50才になるまで、自身が

法廷に立ち、証言するなど夢にも思わなかった。

 

そもそも私はこの一家とは全くの他人だ。雇用された労働者だ。

肩書は「専務取締役」だったが、役員として登記されている

わけでもなく、名ばかりの肩書なのだ。役員報酬ではなく、

給与所得で申告しており、息子たちの肩書が上がるに合わせて

任命されていただけだ。

 

数年間にわたって親族間の争いに巻き込まれたことは今思うと

親兄弟間で分裂し、会社を分けた時点で辞めるべきだった。

 

次男は私が入社した時から、ずっと私に依存し、父親や兄との

折衝役に私を挟み、親兄弟と反目してきた。

 

「あんたがおらんかったら、弟は何もできん、あかんたれや」

「会社が分かれる羽目になったのは、あんたのせいや」

今は亡き会長(父)や長男から言われたことは忘れられない。

 

20年もお世話になった会社に誰にも連絡できず、この20年の

キャリアは無かったことになってしまったようだ。

寂しい限りだ。




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争い③


二足の草鞋生活は7~8年続いた。

清掃会社の方は私が一人、係長に抜擢し、

日々の管理は彼に任せた。

彼とは今も付き合いがあり、独立して頑張っている。

 

そのうち、糖尿と躁鬱の持病のある長男もパチンコ業の専念

で元気になり、私は、パチンコは長男を社長として立て、

清掃会社は次男を社長として助けながら、無難にやって来た。

 

その後パチンコ業には長男の息子が入社したころから、

兄弟間の確執が父親を挟んで本格化していく。

売上収入の格差は、P店と清掃会社では

大きく、次男はもとより清掃会社を継ぐにあたって、

父から別案件の不動産や現金を補填してもらう約束で、

パチンコ業から身を引いたのに、父親は約束を反故にしたらしい。

齢80だが、引退する気は毛頭なく、お金の執着心は強かった。

 

次男(嫁)は黙ってはおらず、会長(父)も約束を反故した手前、

引け目もあったのだろう。

いったん分けた会社に長男、次男がまたそれぞれ持ち株を半分ずつ

分配し、長男は清掃会社からの報酬を、次男はまたパチンコ店に

副社長として復任し、自分の長男を入社させた。

 

それ以降毎日のように社内で

長男(社長)次男(副社長)の争いに、

今度はそれぞれの嫁、息子を巻き込んで、

私はシーソーの支点に立たされ、

左右のバランスをとるために行ったり来たりして来たわけだ。

 

「金持ち喧嘩せず」とはならず、株持ち分は50:50のため、

「裁判」で双方の主張をしていくこととなった。




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