木曜日

人の世


私の母は神戸で生まれ育った。1945年の神戸大空襲は

11才の時で、その恐ろしさをはっきりと記憶していた。


母方の祖父は私が小学低学年時に早く他界し、祖母も

その後数年で亡くなった。背は小さかったが、優しくて

お洒落な人だった。

 

1995年(平成7年)の阪神淡路大震災は祖父母が

暮らした神戸の下町をすべて灰と化し、当時の面影は

全く残っていない。

写真もすべて焼失したので記憶の中だけだ。

 

あの時、妻は次女を3日前に出産して入院中のため、

私の母が、上の子の世話のため私の家に泊まり込んでいた。

 

朝5時46分。家が大きく揺れ、いきなり起こされた。

隣の部屋の母も飛び起きた。

その後、テレビ中継で空から、神戸の様子が映し出され、

あちらこちらから煙が立ち上がり燃えだしている。

 

「ああ、空襲の時と一緒や」 「また神戸が燃える」

 

二人で固唾をのんでテレビをみつめた。

 

固唾をのんでテレビをみつめるのは、これ以降も。

 

2001年9月11日の世界貿易センターに飛行機が・・・

会社で、社員全員で、まるで作りごとの世界を見る様に

固まっていた。

 

2011年3月11日 東日本大震災・大津波の様子を

何度も繰り返しテレビで見せつけられた。

 

昭和20年の敗戦以降、日本には戦争はなかったけれど、

何度も大きな災害に遭い、世界では終わらない戦争・紛争で

多くの人命が失われた。

 

人の命は地球より重かったはずが、人の世の中では

何とも軽く、はかなくなってしまったのか。

 

「ブッダ」「キリスト」「マホメット」は今の世を

どう見るのだろう。




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火曜日

墓誌


K市の霊園墓地にある大叔父が建てた

祖父の墓の横に石板に刻まれた墓誌がある。

 

「本籍地 慶尚南道〇〇市〇〇洞○○番地

父 在敦 母 和順とも韓国の農村に生まれ

幼少の頃 住み慣れた故国 韓国を離れ

玄界灘を越え ここ日本に移住する事に

なり あらゆる仕事をして 私ども七人の

子供を大学迄 出してもらった

全くの無学の父ではあったが 法律の

いらない人で 皆から尊敬され

一生涯 働き通した

母は父を支え私達子供を守ってくれた

終生父母の恩を忘れず ここに感謝を

こめて 墓誌に刻む」

 

刻まれている通り、人が嫌がる仕事でも何でも

厭わずにやったらしい。

そのため、周りからも信頼され、何度も人に騙された

事もあったらしいが、日本人(社会)からも信用されて

文字も書けないのに会社を発展させた。

5人の息子は全員、大学まで進学した。

 

今は私の世代から上の男性親族は全員亡くなった。

 

私は学歴もなく、特別のスキルもない凡庸な男だが

人と人との緩衝役になって、嫌がる仕事でもなんでも

やって来た自負はある。祖父の血統だろう。

 

祖父のように自然と周りに集落ができるような

人望は、今のところ親族にはいない。

 

後々の子孫に期待しよう。




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月曜日

リコール


昨年末、ブリジストンから「シルヴァF8F」という

折り畳み自転車の不良部品による自転車本体の回収と

お詫びのお知らせが届いた。

 

4年ほど前に「ミニベロ」というカテゴリーの小型の折り

畳み自転車にハマっていた時に購入した台だ。

 

以前にも書いたが、同時期にダホン社というアメリカの

自転車メーカーの「ミニベロ」を2台購入したのだが、

いちびって国内メーカーの「ミニベロ」も、と購入して

しまった。価格は海外製品の半額ほどで、重量は重いが、

思いのほか乗り易く、フレームの強度もあり、気に入った。

 

20代のころに、同社の27インチの折り畳み自転車で

グランテックという車体を半分に畳める自転車を持って

いたこともあり、同社の印象は良かった。

 

F8Fを車のトランクに積み、福井県の三方五湖周辺近くの

道の駅に車を止め、そこから周遊したこともある。

中学生の時に、昔の段変速の自転車で回り、30代の頃

には、車で湖を見渡せるレインボーラインという有料の

道路を走った思い出の場所だ。

 

道はかなり整備されていて、五つの湖のほとりを自転車専用

道路で周回できる。起伏も少なく、20インチのタイヤでも

楽に走れ、気持ちが良い。湖面は静かで、リズムよく走って

いると昔の甘い記憶が蘇る。

 

それほど回数は乗っていないが、どの自転車もいざ手放すと

なると、乗車感覚が思い出されるのもあり、少し寂しいが、

最近2年間ほど、長女宅に預けている間に雨ざらしで、一部

錆があり、タイヤも摩耗している。

 

返却用のダンボールは届いている。メーカーの指定日に返送

するだけだ。4年も前に購入し、使用頻度も高いバイクが

リコールで弁償して頂けるのだから、得した気分だが、

乗っていた長女には新しい自転車の購入費用を補助したので

お金は残らない。

 

もうこのタイプの自転車は買うことはないだろう。

電動アシスト自転車に乗ってしまったので、

小径車といえども、もう完全自力では、こげなく

なってしまった。

一度、楽を覚えると、もう戻れない。駄目だねぇ。




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