月曜日

入替頻度


遊技機の入替の費用対効果がまだ大きかった時代、

2~3か月に1度で少数台数だった入替が

月1回で、ちょっとした台数になり、それから

2週に1回、毎週入替開店と、

どんどんエスカレートしていった。

さすがに警察(所轄)も毎週となると対応に追われ

看過できなくなったので、その地区の遊技組合に要望を

だしてきた。当時から、組合の「事務局長」は、

退職警官出身者(天下り)で2年ごとに交代していた。

「入替は月1回、予約者優先」と

当時の事務局長(元警察署長)から通達が。

 

この元、キッカケを作ったのは私だった。

CRが認可されだし、使えるCR機が出だしたのを

契機に新規開店するたびに店舗の売上が上昇して

いったのだから、遊技機の入替が止まらない。


当時1台20万円台の遊技機を10台導入しても200万だ。

私の担当する店舗は、時間売上200万円の売上だ。

毎週入替をするたびに売上が右肩上がりで上がっていく。

20万円の10台の新台が一日の営業で、100万円売る。

当時の新台の回収率は20%くらいだったので、

毎日20万円回収し、10日で機械代金の回収ができた。


やればやるほど店舗の売上が向上し回収金も増えていく。

私は調子に乗ってしまい、入替申請がエスカレートしていき、

所轄から目をつけられたのだ。


まず、ハンドル固定で目をつけられた。

常連客は隠しながらコインやプルタブ(缶飲料のふた)などで

固定し打っていた。指摘され、指示書処分だ。


店舗見回りで生活安全課がひと廻りすると、

18歳未満の入場、遊技もやばい。

一度目を付けられたらダメだ。

いくらでも法令違反で挙げられてしまう。

 

元警察署長の事務局長を伴って、今回の経緯、顛末を深く反省し、

今後はないようにと、反省文を書かされ、所轄の柔道場で

小一時間ほど正座させられ、以降、事なきを得た。

 

「生活安全課には逆らえない」

「交通課には徹底して抗うけどね」




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年次休暇


会社によっては福利厚生への捉え方は

大きく違うだろうが、私が過去に在籍していた

会社の大半は、ほぼ一緒だったので、

業界の全体値として見てもいいだろう。

前提として、一般社員ではなく、店舗長としての待遇だ。

 

店休日が組合の申し合わせで、月4回だったころは、

4×12で48日(年間)。

有休の買取りもなく、

 

「有給休暇は万一のための休暇で、取得は認めない」

 

年に1度有休用紙を本社経由で上長から配布時、

彼は笑いながら、目の前で白色の修正液で有休日数を

消しながらそう言った。

 

月4回のうち、1日は業者による店舗美装(清掃)がある。

当時はまだ入替の頻度も少なかったが2、3か月に1度は

入替作業と、機械調整があり、それで1日がつぶれる。

 

担当店舗は店長(私)、副主任の2名体制だったので、

交代で店休日に出勤しても、年次休暇は40日以下だった。

公休出勤手当、残業手当は全て役職者手当に含まれるという

搾取を当たり前に、滅私奉公を前提とした給与体系だった。

当時で額面40万円前後。手取りで30万少々だった。

 

その後、平成の7、8年以降くらいから、

組合の申し合わせの店休日は、大手チェーン店の抜け駆けで消滅し、

全国のかなりの店舗は年中無休となってしまったが、逆に

現場では交代で休み易くなった。

 

月5回の公休、年次有休消化6日で66日/年前後。

 

平成の中ごろ以降からは

月6回、年次有給10日で82日/年前後。

 

1年選手も10年選手も同じ感覚なのが業界の怖いところだが。

 

これくらいが、求人募集などを見ての各社平均値かな。

令和の今、業界も廃業店舗が多く、多くの若い人材は

他業種へ流出していったことだろう。

 

ちなみに私は30年以上の業界歴で有休を消化したのは、

2度の大きな手術の時だけで、

辞める年まで週休制だったので、年間52~3日。

辞めると決意した年度に2度有休を取得し、海外へ行った。

 

業界在籍時の最高年棒は1620万円。

系列の清掃会社を含めて、1年間だけだったが。

昭和62年に業界に入った時の店長は

月給50万円、毎月B金(小遣い)50万の

100万円。年収1200万円。

準大手にいた時の上司の統括部長は

後で聞いたが、年収2000万円だった。


関東と関西では、かなりの開きはあると聞くが

一般の職種よりは上位になるだろうけど、

在籍年数は短い。退職金制度もないのが大半だ。


業界の中で、何度かあった遊技機の撤去問題の時は、

いつも経営者はリストラ(人材削減)を謳い始めるので、

その都度、自らの給与も下げ、年収900万円前後。

 

パチンコ業界で35年間。会社は4回変わった。

変わるたびにリセットされ給与は下がったが、

日本は失われた30年と言われる中、

私の30年は心身共に削られはしてきたが、

金銭的には苦労はしなかったことは幸いだと思う。 




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拘束時間


パチンコ店の勤務体系は、二部勤務体制が多い。

早番は9:30~17:00 (休憩1H

遅番は14:00~23:30(休憩1.H

 

実働7時間が一般的で、上記の勤務を二交代で勤務する。

 

夜が遅いので、最初は慣れるまで朝が辛い。

マルハン、ダイナムのような大手企業なら、

週休二日制で年休も100日以上も普通になってきたが、

中小では、まだまだだ。

 

ここから役職者になると、さらに拘束時間は伸び、

一部勤務の早番、遅番として

早番は9:00~14:00  6時間休憩 

20:00~24:00


遅番は14:00~20:00 1時間休憩 

21:00~24:00


9時間拘束、実働8時間が一般的で、

上記の勤務を二交代で勤務する。


パチンコ店の営業時間は、

地域によって各組合の申し合わせにより変わる。

開店時間は 9時~10時が一般的で

閉店時間は23時~24時が多い。

(風営法で24時を過ぎると日をまたぐので禁止)


店舗管理者になると、さらに拘束時間は長く、

昭和、平成の時代なら、店が開いて、閉めるまで。

「拘束時間」と「実働時間」は違う、

というオーナーが多かった。

その代わり連絡がついて、どこからでも駆けつけることが

出来るなら、どこにいても良い。

暗黙の了解だ。

気の持ちようだ。要領の良い店長は、

朝「ちょこっと」顔を出し、近隣店で1日中パチンコも多い。


当然だが、人員が揃っていて、店舗運営が順調にいっている

のが前提だ。会社が火の車ならそんな余裕もないだろう。

生真面目で杓子定規な人間なら息苦しいが、

楽天的な性分で根が不真面目な人間なら逆に

過ごし易いかもね。


でも惰性に流されて結局は長続きしない。

やはり、真面目にルールを決めて日々過ごす習慣がないと、

長い年月勤め上げることは出来ないだろうね。




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