月曜日

才能


「おらぁ!」

「でかい車に乗っとるんが、偉いと思っとるんかい!」

「降りてこんかい!ボケ!」

 

国道を走行中に、愛車のベンツのサイドミラーが

トラックと接触し、店長の怒りが爆発したようだ。

 

すれ違いざまだったようで、トラックは停車せず、

そのまま逆方向へ。

瞬間湯沸かし器の店長は、強引にUターンし、

追いかけ、追い越し、前に回り込み停車させた。

 

まあ、相手が高級車で、丸坊主で、いかつい面相、

声が大きいオヤジが乗っていれば、普通は逃げるか、

覚悟するしかないよね。

 

暴言、恫喝を一気に繰り出し、一気呵成に相手を追い込む。

本人の努力?訓練?もあるのだろうが、一種の才能だね。

 

間近で見てきて、この種の一気に畳みかけて相手を

追い込んでいく口舌、口説、口上の滑らかさ、迫力。

 

凡人なら常に臨戦態勢で待ち構えて、準備していなければ

出来ない状況でも、彼らは、瞬時に切り替えられる脳の回転。

これは、やはり才能だろうと思う。

この種の人間とは関わらないほうがいいね。 




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金曜日

夏休み

 

小さいころは町の水路のような小さな川でも、

ウナギが取れ、メダカやフナや鯉もいた。

水は綺麗で夏にはひんやりして、川遊びは楽しかった。

水藻を足でかきまわすと、ちいさなタニシがいっぱいだ。

小2まではザリガニも小さく、ニホンザリガニだったが、

小3くらいから赤く大きなアメリカザリガニが登場してきた。

 

雨が降った後、土の水たまりにはアメンボがいて、

田んぼのあぜ道の小川には、

ヤゴやゲンゴロウ、おたまじゃくしがいた。

アマガエルやトノサマガエルが、大きな食用ガエルに

浸食されていったが、トンボやアゲハ蝶は優雅に飛び廻り、

とがった小枝の先には、モズの生贄のカエルが干されていた。

 

なかなか正体を見せないモグラの代役として、

オケラ(モグラコオロギ)を捕まえ、遊んだ。

 

ある時期から町の水路の上には暗渠がかかり、

土の道にはアスファルトがひかれ、

田んぼの肥溜めもなくなった。

 

町並みはあまり変わらなかったが、

生き物がいなくなった。

 

私には1歳を過ぎたばかりの孫が2人いるが、

彼らの世界には

私が見た生き物のほとんどが身近にはいない。

 

小さい子供の目線では、世界はどう見えるのだろう。

自然には回復力がある。

まだまだ、生き物は多様にいるだろう。

もう少し大きくなったら、出来るだけ自然には

触れさせてあげたい。




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刷新


平成の5年、6年くらいまでは、

どのホールも従業員は店内で喫煙していた。

両替機の上に飲みかけの缶コーヒーを置いて、

呼出しボタンでトップランプが点灯されれば、

我先にと駆けつけた。それが普通だった。

 

「パチンコ」はサービス業だ、と自覚・自認しだした

頃合いから、お客様の前で「飲食・喫煙」は禁止のお触れが

オーナーから出だし、一気に各店へ広がった。

 

同時期に店内マイクでの連絡もインカムマイクに移行し、

係員はイヤホン、マイク、遊技台の鍵束に、手には清掃用の

ダスター(雑巾)を持たされ、役職者は、係員を順番に

たばこ休憩にまわすのに、手間をとられた。

 

1人5分で、5人もいれば、それだけで30分かかる。

休憩中は、役職者がバックアップするため、他の仕事が出来ない。

 

この時分は、役職者数も少なく、私が担当していた店舗では、

私(店長)と中年の副主任の2名だけだった。

古株社員は勤務過多の役職者昇格は敬遠していた。

 

この頃よりホールはパチンコバブルに入り、一気に売上も

上がり、担当店舗280台では、時間売りが200万ほどあった。

 

キングサンド(エース製の千円サンド)には千円札が、

どんどん投入され、シマ端のストッカーにすぐに、

いっぱいの千円札が溜まる。

放置すると、札が流れるレールにお金が詰まってしまう。

 

トラブル処理、金銭回収、特殊景品の購入で

目がまわり、たばこ休憩は毎日、日替わりで一日班長制とし、

各自で休憩を回すよう指示した。

 

当時はまだ、店休日が月4回あったので

なんとか、しのげた。

 

社員も従来の中高年齢層から、

役職を望まない「のんびり社員」は排除し、

一気に新卒採用、若手切り替えになった。

 

会社の指示で個別に社員面接し、

ベテラン社員8名の退社勧告をした。

 

平成4年以降から遊技機はCR化に加速し、

業界内部も経営者の世代交代が進み、

旧態依然の慣例や古い体質が

一変していった時期だった。




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