土曜日

裏もの


「裏もの」

と聞くとビデオやビニ本を想像するかもしれないが

パチスロでは不正(改造)機のことだ。

 

私が業界に入った1986年(昭和61年)は

パチスロ1号機の時代で新風営法が施行された

ばかりの頃だ。


アメリカーナXX(ユニバーサル)、

パルサーXX(日活)や翌年「ニューペガサス」

(パル工業)が発売され、ひと時沸いた。


1回交換の千円買い。1回かかるたび千円分コインを

購入追加してもらう、という今なら信じられない

暴力的な営業だった。

それでも「ニューペガ」は吸い込み方式の連チャン機で

人気も高かった。

 

閉店後、事務所の奥ではハンダ付けの

臭いが漂ってくる。

「かばん屋」が基板を丁寧に開け、

ドライヤーで封印シールをはがしている。

ロム交換だ。

「かばん屋」とはこのような改造ロムを

仕込む闇業者だ。

 

どのような動きになるかは現場には

知らされていない。

オーナーのみぞ知る、だ。

 

毎夜、打ち込み機をつなぎ、

朝一番にボーナスがかかるように仕込む。

いわゆる「モーニング」だ。

台数が多いと明け方までかかる時がある。

 

当時はあの手この手で

罪の意識なく工夫した。

企業のコンプライアンスという

言葉もなかったが

でも閉店後、

隠れて行っていたのだから、

後ろめたさはあったんだろうね。





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矛盾

 

パチスロの全盛期は1992年(平成4年)

から2007年(平成19年)といわれる。

 

いわゆる4号機と称される機種が

発売されたのが、平成5年の

「ニューパルサー」、「クランキーコンドル」

くらいから。

 

以降、4.1号機、4.5号機、4.7号機と

続き、最終的に2007年まで4.7号機が

主力機として活躍していた期間が、長い業界の

歴史でもパチスロの隆盛期だろう。

 

平成に入るまでは、ホール全体ではパチスロの

台数設置比率は小さく、パチンコと比較して

1:9 か 2:8 くらいだった。

 

皆さんがなじみのある機種が、これ以降

どんどん発売設置されて、パチスロの設置

台数も増え、パチスロ専門店が出来るまでになった。

 

のちに規制の対象となって撤去される機種は、

「保安電子通信技術協会」通称(保通協)といわれる

警察の外郭団体が検定許可を出した遊技機だ。

 

あとになって「射幸性が高い」と

強制撤去されるのは矛盾しているが、

点検基準の目をかいくぐって開発した

メーカーにも重大な責任がある。

 

いずれにしてもホール経営者は、

保通協を通過した

行政から許可を通った

正規の遊技台を

正規のルートで

正規のメーカーから言い値で購入し、

正規の手順を踏んで設置した遊技機を

後から射幸性が高い(不適合機種)

と言われ撤去の憂き目に

合わされることの繰り返しだ。






盆正月

 

20歳から5年ちかく、兄の経営する

喫茶店でバーテンダーとして働いていた。

2歳下の妹と共に厨房は兄妹で担い、

ホール係はアルバイトで運営していた。

大阪梅田の紀伊国屋書店の横、

カッパ横丁という通りの前の

タクシー乗り場の向かいにあり、

「あすなろ」という屋号の小さな店舗だ。


もう今はない。


高校の同級生も一緒にバイトをした

時期もあった。

家賃は当時で100万円、

又借りだったのでさらに20万円。

大阪の繁華街とはいえ高額だ。

コーヒーが300円。

バイトの時給が500円前後だったか。

 

週末や阪急三番街のバーゲン時などは

客数も多く、忙しくて目が回りそうだった。

アイスコーヒーなど布フィルターで

おとしていたが、マシンが入り楽になった。

味見で毎日コーヒーを10杯くらい飲んで

その後も習慣になってしまった。

 

当然、年末年始や盆正月は

かきいれ時なので休みはなかった。

その後はパチンコ店で働き出したので、

こちらも同様に盆正月は休まず。

なので、60才になるまで40年間、

盆正月をはじめ、

まとまった連休はなかったことになる。

水商売をされている方は皆同様でしょうが。





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