月曜日

お金


年4か月の失業期間から非常勤職員(パート)で再就職して

から1年6か月。収入は半減どころか1/5ちかくになった。

 

6時間勤務なので、休憩時間はなく、始業から終業までPCを

見つめて、ほとんど掛かってこない電話機の前で待機している。

40才で、レーシック視力矯正をして以降、20年間は1.2の

視力を維持してきたが、さすがに最近、目がかすんできた。

 

「やりがい」もなく、いかに6時間をやり過ごすか。

昨年6月より、このブロブを始めたが、ここ最近は書く意欲も

なくなりつつ、ネタも尽きてきた。

 

片言の韓国語を「てにをは」から勉強し、語彙を増やすべくも

思ったが、通路を挟んで横に座る共同で使用している他法人の

事務員さんの視線が気になる。

 

何よりも6時間座りっぱなしで待機するのが、甚だ苦痛に感じて

きて、この数か月前より、本当に疲れてきた。

座っているだけで時給1000円も頂けるなんて良いね。

ではなく、カウントダウンが始まった残り余生を、無駄に費やして

いるのだろうか。

 

契約終了はあと半年だが、更新があっても年なので、そこから

齢64からのまた新たな職探しの難しさを思えば、62才の今から

適度に身体を動かせて、65才まで働くことが出来る職を、考えた

方が良いのかもしれない。

 

年を経るごとに選択肢は狭まってくる。

興味のある仕事や過去に経験のある仕事は、正規雇用が大半で、年齢

の制限があり、就業場所が遠方など、やはり若いころの様に自由が

効かない。勤め人では、もう「ひと花」っていう訳にはいかないね。

 

80年も生きることになったら、65才からでも15年もある。

 

いやあ、長いね。      

 

閑散期に割引料金で、プチ海外旅行できるくらいの余裕は欲しい。

スーパーで食べたいものを、必要なだけ価格を気にせず買いたい。

たまには、友人たちとゴルフもしたい。

たまには、外食もしたい。

たまには、彼女ともデートしたい。(嘘)

映画やスーパー銭湯へも週一回は行きたい。

アマゾンで買いたいものもある。

マイカー(12年落ちのプレミオ)を負担なく維持できる費用、

ネットや携帯などの通信の維持も必要だ。

10年以内に家の水回りの改修が必要かもしれない。

 

ああ、生きていると何かと要りようだ。

やはり金は要るね。

 

これらが「贅沢」になるのなら、世界第二位か三位の先進国と

云われた国で、40年間、犯罪も起さずに真面目に働いてきた

人間とすれば、寂しいではないか。

 

もうこれ以上、物価が上がり、国民負担が上がり、軍事費が

上がるのは困る。

民主主義国家なら、当たり前のことである政権交代が必要だ。

 

・・・でもまた、ダメなんだろうなぁ・・・





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くち


「今日も暑いねー」が、最近の挨拶。

 

水商売の時は、いつでも、「おはようございま~す」

 

今のパートは11時半出勤なので、「こんにちは」

 

管理職が長かったので、「ご苦労様です」が、すぐに口に

ついていたが、最近やっと、「お疲れ様です」

「お世話になっています」が云い慣れてきたかな。

 

職場でのメールのやりとりは回りくどい。

 

同僚なのに冒頭は、「いつもお世話になっております」

 

他人行儀だ。

 

「引き続き何卒よろしくお願いいたします」

「どうぞよろしくお願いいたします」

 

最初はなかなか慣れなかった。

同じ組織の同僚に、お世話も何もないだろう。仰々しい。

 

まあ、2年で部署替え、配置換えがあるのだから、慣れ

親しくすることもないのだろう。

常套句として、文字入力では勝手に提示してくれる。

 

朝のパートは運転手なので会話がない。利用者の多くが、会話が

出来ない重度の知的障害者も多く、なおさらだ。

 

昼からのパートは、所属する組織では、私一人だ。

施設の管理だが、ほぼ留守番のような環境なので、出勤後、

PCの立ち上げ、メールチェック、予約確認。

30分くらいでほぼ終了し、電話の受付は勤務時間内で1件

あるかどうか。

 

同じスペースだが、共有している他法人の2名の方とは、

ほとんど会話がない。

 

家庭では妻と二人きりだが、彼女は統合失調症もどきで、一人で

ひたすら独白劇を繰り返しているので、私はそれらしい相づちを

打つが、打てば響くような会話は、ここ何年もない。

 

元々口下手だったが、上記の様に、話す場が少ないので、

ますます滑舌悪く、退化しているようだ。

この2~3年のマスクの影響もあるかな。

自身でも「もっとハッキリ喋れよ」と反省ばかりだ。

 

たまに来る孫たちにも言い負かされる日が近いだろう。

 

歩かなくなったら足の筋肉が落ちるように、

会話しなくなったら、口周りの筋肉がそがれていくのなら

それも仕方ない。

 

映画の中の高倉健のように寡黙な男として、

朴訥として生きて行こう。

 

むっつりスケベとは思わないでね。




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8月


今夏の暑さは異常だ。と、毎年のように言っているね。

1970年代に子供の皮膚で感じた暑さと、現代の暑さの

違いは、地面からの照り返しだろう。

日差しの強さは昔も今も同様だが、足元からも熱が反射して、

裸足ならフライパンの中へ放り込まれたようだ。

砂浜に素足も熱かったけど、コンクリートの比ではないね。

 

8月。夕立が一気に暑気を吹き飛ばすも、すぐに蒸し返す

ような暑さで、べとつく汗をうちわで扇ぎながら縁側での

夕涼み。

涼しげに鳴る風鈴。蚊取り線香の横で、スイカをほおばる。

蚊帳の中で、コロコロリリリーとエンマコオロギの声を聴き

ながら眠りにつく。

涼しげな風情だが、風のない日は暑くて寝苦しい。

 

昭和40年代までは「サザエさん」の世界がまだ残っていた。

当時は台風の季節になると頻繁に停電があり、ロウソクは

常備品だった。子ども心に台風が好きだった。ワクワクした。

 

クーラーはなく、ガタガタと首が回る、うるさい扇風機。

ステテコ、シュミーズ姿で、老人たちは近所を徘徊していた。

 

腐りかけの貧弱な木製の電柱や路地裏の板壁には、立ち

しょんべん禁止の鳥居の絵が書かれ、近くの荒物屋には

生活用品が何でも置いてあった。

 

同じ軒に並ぶ店々で、魚、果物、野菜、総菜、肉などを毎日

必要量だけ買っていた。コメ、酒、瓶ビアは配達があった。

銭湯、理髪店、喫茶店、更科うどんに本屋さん、熱帯魚販売。

おしゃれなテーラー屋。信用金庫に幼小中学校。

すべてが徒歩圏内にあった。

 

井戸ポンプは町のあちらこちらに結構な数が引かれていて、

井戸水はひんやりとして、スイカや野菜、瓶飲料を冷やすのに

重宝だった。

 

住居周辺だけで、生活に不便なく物事は足りていたのに、

外圧に負けて大店立地法に変わってからは郊外に大型の

ショッピングモールが出来、町の商店街はシャッター通りと

なり、寂れてしまった。

 

資本家の思い描いた金儲けの手段にされて、幸せに暮らす

ベクトルが、間違った方向へ向かったようだ。

 

これからの日本は、人口減少は全都道府県に及び、少子化は

必然だ。100年後には、どうなっているのだろう。

 

あと20年もすれば私も寿命を迎えるだろうし、見ることの

ない未来を悲観してもしようがない。

 

冥土へのカウントダウンが始まってはいるが、子供のころの

夏休みの宿題同様、言い訳ばかりで一向に進まない事ばかり。

如何ともし難く、さて、さて。


明日も暑そうだ。





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