木曜日

カジノ


パチンコ店での営業部勤務の時は毎日、パチンコ・パチスロを

打っていた。京都の準大手のパチンコ店に勤務していたころは、

給与明細書と一緒に調査費として5万円の現金の支給もあり、

社長曰く、「暇があれば他店でパチンコしろ。いろいろな機種や

その店舗の雰囲気、出玉率を客の立場で勉強しなさい」と。

 

拘束時間も長く、休日も少ない。

もともとパチンコ好きでこの業界に入った人間ばかりだ。

調査と、かこつけて他店のホールで終日過ごす営業部員もいて、

そうなれば5万円の調査費などは、焼け石に水だ。

 

CR機種が出始めの頃の機種は、玉単価が2円近くあり、

1時間の打ち込みが、1分間100個×60分で6000個、

かける2円で12000円。

2時間、3時間、回せど回せど大当たりは来ないのも珍しくなく、

万札がどんどん吸い込まれていく。

ミイラ取りがミイラになる営業部員も多くいたが、社内では

特に問題提起されることもなく、去る者は追わずの無慈悲な

体質はどの会社でも似たようなものか。

 

ギャンブル産業は、ハマる、依存する、中毒になる多くの

ユーザーがいて成り立つ産業だ。

 

パチンコもカジノも、競馬も競輪も、負けが込む人たちが多ければ

多いほど儲かり、人の不幸で成立する。博打だ。

 

さて、認可が降りた大阪の「カジノ」の行く末はどうなるだろう。

気軽に行けるギャンブル場がいっぱいある日本で、わざわざ負ける

確率が高い「カジノ」に行く御仁は、そんなにいないだろう。

 

夢洲の未来はすでに明らかだ。地盤沈下の対策費、カジノ事業の

不振。何よりも近未来に必ず起きる東南海地震の影響。

 

誰も責任は取らず、「仕方ない」になるのかね。

いつまでも「お人よし」なら本当に殺される日も近い。




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月曜日

「生きる」2


私の母は本年88才。妻の母は90才になる。

二人とも足腰は弱ってはいるが、まだ呆けずに口は

達者なようだ。

 

私は母とはもう1年ほど会っていない。

妻の母とは2019年の年末に、コロナ騒動が本格化

する前に次女夫婦を伴って渡韓したので、3年前になる。

 

親族の上の世代では、男性は母方の12才上の若いおじが

存命するのみで、みなさん天に召された。

歳月があっという間に過ぎて行くのが不思議な感覚だ。

気付けば・・・だ。

 

今まで別れがたくさんあり、これからも近しい人にも同様に

その時が来るのは受け入れざるを得ないが、平静は失われない

が、なんとも微妙なざわめきを感じるこの頃だ。

 

私は凡庸に生きてきた人生だが、あまり後悔はない。

 

あの時こうすれば良かった、ああ、もっと違う選択があった

はずだ、などは、平平凡凡に生き、岐路に立たされた土壇場に

布石を打つ用心深さや決断もなく、その度々に流されて現在に

たどり着いた私には、今はなるようにしかならなかった現実が

あるからだ。

 

と、云いつつ、「生きる」のまだまだ続きがありそうだ。

今まで通り、「生きる」ことは難しくない。なるようになる。

私が幼少の頃、祖父母に手を撫でられたように、私も孫たちの

手を愛しく撫でながら、彼らにぬくもりを残していこう。




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木曜日

運転手1


平日の朝、障害者施設の送迎のアルバイトに行きだした。

60の齢を過ぎる頃より朝の目覚めが早く、ちょっと早く

寝てしまうと、新聞配達の時間になるや頃から目が覚めて

しまい、午前中に時間を持て余していた。

 

幸いハローワークの求人で自宅からも近く、時間の都合も

良かったので、面接に伺い、採用していただいた。

 

生活介護施設を出発し、35キロほどの道順を順次周り

2時間ほどで施設に連れて帰ってくるドライバーだ。

 

まだ2週間足らずだが、コースの道順は覚えた。

グーグルマップの画像で実際のコースを周り、休日にも

一度自家用車で巡回して覚えた。

 

仕事に関しては、私は真面目なのだ。

 

「○○さん、おはよう」

「おはよう」

 

「○○さん、おはよう」

「おはよう」

 

「○○さん、おはよう」

「おはよう」

 

「○○さん、おはよう」

「・・・」

 

「○○さん、おはよう」

「おはよう」

 

「○○さん、おはよう」

「・・・もう、ええ」

「おはよう」

 

「あ~!う~!」  「イヤー!」  「ヒエ~」 

 

「ははははは」   「にいーやあー」

 

時間はうららかに過ぎて行く。

 

十分に安全運転を心掛け、平常心で続けよう。




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