金曜日

高倉健と友人


高2の夏休み、友人のGくんと神戸新開地の映画館へ行った。

私たちの学区からはかなりの遠隔地で、阪急電車三宮駅から

神戸高速線に乗り換えて遠路はるばる行った。

 

高倉健、池部良が出演する昭和残侠伝 唐獅子牡丹シリーズが

4本立てで一気に上映されていたためだ。

 

ネットで調べるとシリーズは以下

「昭和残侠伝」「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」「昭和残侠伝 一匹狼」

「昭和残侠伝 血染めの唐獅子」「昭和残侠伝 唐獅子仁義」

「昭和残侠伝 人斬り唐獅子」「昭和残侠伝 死んで貰います」

「昭和残侠伝 吼えろ唐獅子」「昭和残侠伝 破れ傘」と9作品続く。

 

このうちの4作品を鑑賞したことになるが、どれがどれかは

今観ても、はっきりしないだろうと思う。

毎回ストーリーは似ており主人公の高倉健がヤクザ稼業の欺瞞に

最後の最後に憤りを感じ、池部良と斬り込みに行くパターンだ。

 

鶴田浩二の「博徒」シリーズとは一線を画す情緒あふれる任侠

映画で、主演者は他に三田佳子、藤純子、津川雅彦や芦田伸介、

金子信雄、松方弘樹、梅宮辰夫など多彩で、面白かった。

 

弱きを助け強きをくじく任侠に生きる高倉健、池部良の立ち姿や

傘に跳ね返る雨つぶの音、登場する人物たちのジリジリするような

距離感と哀愁。最後は定番の殴り込み。帰りの電車内、二人で

高倉健とともに池部良の格好の良さにも感銘したと言い合った。

 

作品は1本90分くらいだったので、7時間ほど観たことになる。

若い時は時間がいっぱい、あったんだね。

 

ちなみにこの日は、飲酒はしなかった。

前日、Gくんは大阪梅田のライブハウスでしこたま飲んで、帰りの

阪急電車で吐き、懲りていたためだ。

でもタバコは館内で喫いながら映画を観ていた。

そういう時代だったんだね。



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タイムマシン2(武庫元町)


小学生の頃は家の前のガレージ倉庫のコンクリートの

壁に、キャッチボール代わりに軟式球を投げて遊んでいた。

壁の前の排水溝の上に段差があり、その段差の角を狙い投げ、

何時間も飽きずに遊んでいた。

 

その倉庫の横の砂利が敷かれた駐車場の一画には酒屋の配達

用の三輪のミゼットが置かれていた。小さくて可愛かった。

 

町中を小さなコンクリートの排水溝の川が張り巡っていて、

わたしの近所の須佐男(すさお)神社のまわりにも小さな

川があり、武庫川、尼崎港から海に繋がっていた。

 

昭和46年くらいまでは、こんな小さな川溝でもウナギが

紛れ込んでいたり、コイやフナなども川底の藻を足でかき分け

網ですくっては一杯採れた。夏場は一人で釣り糸を垂れ、

何時間もジーっと川面を眺めていた。

 

人口がどんどん増え、近くには大型の団地が続々と作られ、

土埃の道にはアスファルトが敷かれだし、ひび割れ補修の

タールが夏場には溶けて、白色のスリッポンの靴底に

くっついた。

 

須佐男神社の境内の祠の下ではノラ猫が住みついていた。

野犬狩りが回ってきて、放し飼いか、ノラ犬かわからぬが、

泣き叫ぶ犬の首に輪っかをかけ連れて行った。

 

引越し前の家はポっちゃん式のトイレで、たまにバキューム

カーのホースで汲み取っていたが、新しい一軒家の借家では

水洗が通っていて、ボイラーで沸かす風呂もあった。

 

自宅周辺には空き地がまだ残っていて、近所の男の子たちは

三角野球で連帯を深めていた。南方のピーちゃんとそのお母さん

には可愛がってもらった。このお母さんの話す怪談の怖いこと。

面白いこと。夕方になると近所の子ども達が集まっていた。

 

夜中に目覚めると白黒のテレビから月面に降り立った宇宙飛行

士の様子が見て取れた。アポロの月面着陸だ。

画像は悪いが、不思議な印象だった。

 

この頃から我が父は放蕩の道へと本格的に歩みだしていた。

それは子どもながらに感じていた。近くの立ち飲み屋で暴れ、

6才上の兄と母が「とら箱」に収容された父をよく迎えに

いっていた。

そんな影響からか兄は高校を中退学し、そのまま家出をして

しまった。連絡も無き兄のために母は、何かのおまじない

なのか、兄の靴をトイレに置き、息子の無事を祈願していた。

ウチでは靴の初おろしの時はマッチで靴底をあぶっていたが

これも何かのおまじないか。

 

近くには大きな公園(交通公園)もあり、武庫川の土手堤防の

上を自転車で海まで走った。河川敷のグランドでは皆があつまり

草野球をしていた。

 

その頃より公害や薬害などで大きな社会問題が噴出していたが、

私が住んでいたこの町は、南側の阪神工業地帯のわずか北側に

位置しながら、まだ自然も残っていて、悪くはない幼少期を過ご

せた思い出の多い場所だ。

幼馴染もまだ多く住んでおり、居心地は悪くはないのだろう。

 

頭の中の記憶は、タイムマシンに乗るかのように過去に行ける。

 

大林宣彦監督の「異人たちとの夏」を思い出す。

自分の死んだ父(片岡鶴太郎)が私(風間杜夫)に声をかけて、

昔の家に連れていかれる。映画では霊的な関係性が入るが、

セピア色の過去に戻る懐かしさや切なさは、昔住んでいた町に

帰ると沸き上がる感情と一緒だ。

少々色付けされた記憶だろうが、ふとしたことで過去の出来事が

蘇り今につながる。

 

人間の遺伝子の情報は過去から累々と繋がっているのだから

遺伝子情報の解析は過去に遡るようなものだろう。

さまざまな遺物から未来には詳細にAIに解析され、メタバースの

仮想空間で過去の世界をリアルに体感できるのだろう。

タイムマシンはすでに存在しているのだね。




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月曜日

職場


初めての仕事は喫茶店のウェイターが最初だった。

20才前後は肉体労働が多く、トラックの荷物の

上げ下ろし、引っ越し、鳶の手もと作業に、解体作業。

それ以降はパチンコ店でのホール、カウンター業務に、

系列会社でのゴミ回収、し尿の汲み取りもやった。

40才前後からは統括の管理職として、パチンコに関わる

こと全般に従事した。

 

共通して一人親方や個人経営での形態が多く、職場では

いつも冗談を言い合ったり、屈託なくプライバシーに

踏みこみ、お互い言いたいことを言っていた。

それが普通だった。

いまでこそパワハラになるのだろうが、社内で上司が

悪態をついて部下を叱責したり、同僚同士での掴み

合いの喧嘩なども時にはあるような環境で人生の

大半を過ごしてきた。

 

だが、60になって初めて教育関係の事務職を経験し、

社内の静けさに戸惑い困惑した。みな黙々と目の前の

CPに向き合っている。

誰も冗談を言わず、雑談もなく、私の過去の履歴にも

興味も示さず、無駄口もない。

定刻になれば即帰宅する。2割くらいの常勤の正職員は

2年で部署移動し、8割近くの非常勤職員は2~4年で

雇止めされるようだ。

 

入社して1年になるが、いまだに個人的な経歴を誰にも

聞かれたことがない。次女が準公務員的な会社に就職した

ときも同様の経験をしたようだ。

これが一般的なホワイトカラーの職場の雰囲気なのだろう。

 

遡ると、子供たちが順番に大学を卒業し、就職活動を始めた

くらいから、どうも私が生きてきた人生と、普通に進学して

就活を通して入社していく新卒の子供たちとは、かなり

違ったモノの見方があることに遅まきながら気づいた。

 

まだ戦力になるやならぬかもわからぬ若造にまだ見ぬ会社への

忠誠心を求めたり、まだ知らぬ仕事に何をしたいのか尋ねる

バカらしさ。これからの若者に必要以上に重圧をかけて洗脳

していく怖ろしと茶番劇。

 

まともな神経を持った人間は潰されるか、逃げるか。

逃げた人間には再挑戦を認めない狭量な社会。

ほとんどの人々は従順な塊となっていく。

 

最初からずっと「わき道」を歩いてきた私だが、なんども

道を間違えそうになり、迷い、靴底をいびつにすり減ら

しながら歩いてきたが、まさか、この年になって、こんなに

近隣に無関心で、閉じこもったような雰囲気で仕事をする

事は不思議な感覚であり、精神的にしんどかった。

 

今までグレイな業界で、まじでヤクザな人々が欲望を

むき出しに丁々発止と応戦する世界で接点を持ち相対

してきた自分が、今度は真逆のインテリ相手に応対して

いくとは、最初は戸惑いだった。

 

本心を発せずうわべだけの言葉で会話する。

お互い踏み込まず、当り障りのない関係性を維持していく。

猫をかぶった状態で、正職員は2年の移動まで。非常勤は

雇止めを通告されるまで無難に過ごす。

 

非常勤講師の先生方はハナから施設の管理員には興味はなく、

年配の名誉教授たちは鷹揚だが世俗には無関心なようだ。

 

何か変だね。

まあ、その部署の部課長によって雰囲気は変わるんだろう。

契約は2年だ。来月からは空き時間にダブルワークでほかの

バイトも打診している。

次の職場は、おもろい奴がいれば、いいけどね。



 


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