火曜日

時代


「店長、また男子トイレで注射器、落ちてますわ」

 

主任のT君の報告では今月度に入って3本目だ。

K市の郊外にあるこの店舗はグループ内でもトップ3に

はいる超優良店で、毎月の回収金(粗利金)も平均的な

店舗の3倍近くあるドル箱だった。

 

しかし、立地的に客筋が良くなく、いわゆる「ガラの悪い」

場所だった。近隣には有名な在所(部落)もあり、そもそも

新規開店時から地元暴力団からの圧力で、開店が1年間延び、

数年前の処女開店時には、黒塗りのベンツが駐車場の周りを囲い、

無事にオープンするような、いわくつきの店舗だった。

 

だが、想定通りにギャンブル場としては最適な立地だった。

 

夢と希望と住宅ローンに追われるような新興住宅街よりは、

ここのように古い集落があり、雑多な街並みで、これからの

展望よりも、日々の現実に追われる人々が、小銭を得ようと

少なくはない現金を放り投げてくれる。

 

オーナーが目論んだ通りの出店だった。

 

今の店長は185cm、120kgの体躯で、もとキックボウサー。

TVなどで登場してくる有名なK1ファイターのスパーリングパート

ナーの経験もあり、当社でも筆頭の武闘派店長だった。

リングから降りて以降、体重が30kg超過中だ。

 

先日、彼が事務所で仕事中、突然、目が血走った中年男が乱入

して来た。木刀を振上げ、わめいていたようだ。

突然の出来事で店長は動顛してしまい、手加減なく乱入者を殴って

失神させてしまった。まあ、正当防衛なので問題にはならなかったが、

店内外での覚せい剤の使用や売買が以前から散見され、店舗管理が

それ以降も大変だった。

駐車場の巡回中には、不審者に車で追いかけまわされて、危なかった

事案もあり、私は彼に笑いながら、逃げやすいように減量を薦めた。

 

時代は昭和後期からのバブルが弾けてからも、また平成20年の

リーマンショック不況と叫ばれようが、わが業界は不景気こそ、

人心はひと時の娯楽(賭け事)に走るとばかり、業績の乱高下は

あったが、様々な問題を孕みながら順調に営業してきた。

 

多重債務でホールのトイレで自死された方は系列店舗や近隣でも

数人いた。突然行方不明になった常連客や、明らかにギャンブル

依存症で病的な表情のおじさん、おばさんを見ても、ホール側の

業界人は無関心だった。私もそうだった。

 

その世界にいると、その中の出来事は何でも普遍化し、本質の

異常性に気付かない。明日の生活費までフィーバーにつぎ込んで

いても、借りてまでもアレジンに数万円入れても、掛かれば

元が取れる。ギャンブルは勝ったり負けたりするものだ。

自己弁護で胡麻化す。

 

昭和、平成と隆盛を誇った消費者金融。

アコム、プロミス、アイフル、SMBCモビット、レイク等々。

高金利での貸し付けや取り立てが問題となり、総量規制などで

一時撤退し、悪役に転落したはずの消費者金融が、またぞろ

マスコミでタレントを使い、新しいカードローンだと大手を

振って喧伝している。

 

資本家はいつも弱者を食い物にして増殖していく。

60を過ぎ、しがない時給950円のパートタイマーとなった

私は、今は食われる側になった。

年を経て回り道は出来ない。コツコツ余生を過ごそう。

 

反面教師の親父の背中を思い出しながら。




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木曜日

DEN


平成のなかごろ、準大手のパチンコ店を辞めた。

自主退社というよりも以前も書いたが、肩たたきがひどく

病気入院で3週間の現場離脱をきっかけに、転勤、降格、

減棒を繰り返され、会社の思惑通りに退職願を書かされた。

 

バブル崩壊前に購入した坪100万の10坪の狭小住宅の

ローンの返済、2人の娘のミッション系私立女学校の学費、

たまにやってくる親父の遊興費。

 

休んでいる猶予など無い。

次のパチンコ店での就職口を探していた。

 

その時期、親父の姉(大叔母)がS県でパチンコ店を2店舗

経営していたが、長年雇っていた店長からあることを理由に

恐喝され、店長不在のため店は危機的な状況になっていた。

 

大叔母に連絡してもらい、S県のあるホールへ伺いに行った。

大叔母は、息子が関西で数店舗のP店をやっているので、金銭的

には苦労はなかったはずなのだが、諸事情あり、自分でもホール

経営を始めたのが数年前だ。

 

周囲の業者に云われるままに遊技機の購入や、営業指南をして

もらっていたが、客数は減少し、怪しげな業者に勧められるまま、

「遠隔装置」を設置してしまった。

億単位の費用がかかったらしい。

それでも業績は向上せず、店は閑古鳥が鳴いていた。

 

また、開店時からいた店長が辞める際、遠隔の不正を警察に告ると

脅され3千万円の退職金までむしり取られていた。

 

営業に無知で人任せな経営者も多くて、騙されて大金を失った

パチンコオーナーの話も多い。

 

簡単に大金を投資して、大した人材もなくP店の経営に手を出すの

だから失敗するのは必然だが、良い人材(店長)に巡り合うことも

あり、大叔母は人を見る目が無かった。

 

「フーテンのソビン」と言われたわが父を店舗の会計係に据え、

勧められるまま違法機器である「遠隔装置」まで訳も分からずに

導入したのだから、恐れ入るくらい無知でお人よしだ。

 

「ゆうちゃんがもっと早く来てくれたら良かったのに」

 

重なる赤字で店舗の撤退はもう決めているようで、私の再就職は

ハナからなかったのだが、私自身も現状の店舗を観察しても、ここは

無理ゲーだった。

 

余生に余裕で資産もあり、無理して商売をする必要もなかったのに

魔が差したかのように、私の父も引っ張り込んで、失敗してしまった。

後に聞くと子供達との関係も良くなく、最後は寂しい余生になった。

 

ちなみに廃業した店舗の屋号は「TEN=テン」だったが、地元では

 

TEN=テンはDEN=出ん、と言われてるんよ」

「名前があかんかったんかなぁ」

 

大叔母は少し寂しげに笑っていた。




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火曜日

なあなあ


10年ぶりの寒波が来ると昨日からテレビで騒いでいる。

冬季、寒くなる時期は自宅の外の水道管には凍結防止のため

梱包用の布を巻いている。

自家用車の冬用タイヤは昨年12月に交換済みだ。

 

ここに引越ししてすぐ大雪が降った。

以降、町が山の谷間に位置することもあり、毎年のように

何日間は結構な雪が降っていたが、ここ10年は車の交換

タイヤが無駄足になっていた。実際、年に1~2度くらいの

軽い降雪なら、もう冬タイヤは必要ないだろうと思いつつ、

毎年末に交換してしまう。


もっと田舎に住んでいた時は場所にもよるが頻繁に

大雪が降っていた。

アイスバーンにもなれば、スタッドレスタイヤでも滑り、

坂道では、ちょっとした衝突は日常茶飯事だ。

 

地元では車のバンパーはぶつけても良いものとして

認識している。 

「ごめん」

軽い接触なら、これで済んだ。

 

少しでも傷が付くのが嫌なら、冬季は車に乗るな。

路上駐車も同様・・・だったのだけど、

だんだんと皆の意識も変わってしまい、ちょっとした

接触でも、事故証明等で110番、となった。

 

昔は「なあなあ」で済ませていた。

世の中は世知辛くもなり、互いに妥協し合うことも

なくなった。

「なあなあ」で適当に済ます前提では、互いの信頼も

あったはずだが。

 

だが組織になると、「なあなあ」で済ましてしまうと、

コンプライアンスが守れず、談合や悪しき習慣となり

ルールがなくなる。

 

「なあなあ」はあまり良い意味では使われないね。

 

「なあなあ・・・いいだろう?」

と高を括っていると、肘鉄をくらう。

男女の仲の「なあなあ」も、むずかしいね。




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