金曜日

ぱちんこ屋


パチンコホールの営業時間は店舗が立地する組合(都道府県)

によりまちまちだ。9時か10時開店、23時か24時閉店。

24時閉店の店舗は日が変わる前には店内から遊技客を一掃

しなければいけない。開店前も閉店後も時間外に遊技客を

ホールに入れてはいけない。

景品交換もあるので15分前には閉店告知マイクを入れる。

 

年末年始には京都や三重の観光地など、特別営業として、日を

またいで25時まで、もしくはオールナイト24時間営業も可能

な地域もあり、それぞれの都道県ごとの組合の申し合わせにより

さまざまだ。

(当然、公安、所轄の承認の元、観光地での治安やトイレ不足

解消のため始まったようだが、コンビニが各地に普及している

現在、パチンコ店の営業時間延長は不要だろう)

 

「本日も最終最後までのお付き合い、誠にありがとうございます」

 

「明日もご近所お友達お誘いあわせの上、揃ってご来店いただけます

よう、店主並びにスタッフ一同、こころよりお願い申し上げます」

 

店内放送はいつも回りくどく、大げさだ。

 

「本日もお足元の悪い中、お忙しい中、多数のごひいき、ご来店

誠にありがとうございます」

 

「本日も常日頃のお約束通り、出ます出します取らせますの三拍子は

もちろんのこと、1番台は元より、最終ナンバー○○○番台にいたり

ますまで、どちらのお客様もご満足いただけるよう、釘調整、機械

調整は万全に、大きく、広く、開けてございます」

 

「さすれば、さあ、どちらのお客様も、お時間の許されます限り、

ごゆっくりとご遊技下さり、本日のよりよきラッキーを、ご幸運を、

しっかりと、がっちりと、さあ、さあ、お掴みとり下さいませ」

 

「ありがとうございます、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」

 

昔のホールは4、9抜きで遊技台の通し番号に4、9、14・・・

は使用していなかったが、経営者の考え方次第だ。

 

最近はコンピューター音声で案内放送を流すので、人が発声する

のは、緊急時の時ぐらいだろう。

 

2023年度からは、玉やコインが個別の遊技機内のみ循環する

スマートパチンコ・スロットになれば、遊技玉が島内に流れる音などの

騒音もなくなり、店内のノイズは遊技機から発するゲーム音だけになる。

店内のBGMから流行歌が流れなくなり、マイク放送もない。

 

たばこの煙とガラス面にあたるガチャガチャとうるさい玉の音、

かしましい遊技機のゲーム音、勝った負けたの殺気が漲る人込みで

あふれる喧騒のホール。その時々の記憶に残る歌謡曲。

 

「賭場」の匂いもなくなって久しいが、昭和から知る「ぱちんこ屋」は

これからもっと大きく変わっていくのだろう。




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木曜日

カジノ


パチンコ店での営業部勤務の時は毎日、パチンコ・パチスロを

打っていた。京都の準大手のパチンコ店に勤務していたころは、

給与明細書と一緒に調査費として5万円の現金の支給もあり、

社長曰く、「暇があれば他店でパチンコしろ。いろいろな機種や

その店舗の雰囲気、出玉率を客の立場で勉強しなさい」と。

 

拘束時間も長く、休日も少ない。

もともとパチンコ好きでこの業界に入った人間ばかりだ。

調査と、かこつけて他店のホールで終日過ごす営業部員もいて、

そうなれば5万円の調査費などは、焼け石に水だ。

 

CR機種が出始めの頃の機種は、玉単価が2円近くあり、

1時間の打ち込みが、1分間100個×60分で6000個、

かける2円で12000円。

2時間、3時間、回せど回せど大当たりは来ないのも珍しくなく、

万札がどんどん吸い込まれていく。

ミイラ取りがミイラになる営業部員も多くいたが、社内では

特に問題提起されることもなく、去る者は追わずの無慈悲な

体質はどの会社でも似たようなものか。

 

ギャンブル産業は、ハマる、依存する、中毒になる多くの

ユーザーがいて成り立つ産業だ。

 

パチンコもカジノも、競馬も競輪も、負けが込む人たちが多ければ

多いほど儲かり、人の不幸で成立する。博打だ。

 

さて、認可が降りた大阪の「カジノ」の行く末はどうなるだろう。

気軽に行けるギャンブル場がいっぱいある日本で、わざわざ負ける

確率が高い「カジノ」に行く御仁は、そんなにいないだろう。

 

夢洲の未来はすでに明らかだ。地盤沈下の対策費、カジノ事業の

不振。何よりも近未来に必ず起きる東南海地震の影響。

 

誰も責任は取らず、「仕方ない」になるのかね。

いつまでも「お人よし」なら本当に殺される日も近い。




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月曜日

「生きる」2


私の母は本年88才。妻の母は90才になる。

二人とも足腰は弱ってはいるが、まだ呆けずに口は

達者なようだ。

 

私は母とはもう1年ほど会っていない。

妻の母とは2019年の年末に、コロナ騒動が本格化

する前に次女夫婦を伴って渡韓したので、3年前になる。

 

親族の上の世代では、男性は母方の12才上の若いおじが

存命するのみで、みなさん天に召された。

歳月があっという間に過ぎて行くのが不思議な感覚だ。

気付けば・・・だ。

 

今まで別れがたくさんあり、これからも近しい人にも同様に

その時が来るのは受け入れざるを得ないが、平静は失われない

が、なんとも微妙なざわめきを感じるこの頃だ。

 

私は凡庸に生きてきた人生だが、あまり後悔はない。

 

あの時こうすれば良かった、ああ、もっと違う選択があった

はずだ、などは、平平凡凡に生き、岐路に立たされた土壇場に

布石を打つ用心深さや決断もなく、その度々に流されて現在に

たどり着いた私には、今はなるようにしかならなかった現実が

あるからだ。

 

と、云いつつ、「生きる」のまだまだ続きがありそうだ。

今まで通り、「生きる」ことは難しくない。なるようになる。

私が幼少の頃、祖父母に手を撫でられたように、私も孫たちの

手を愛しく撫でながら、彼らにぬくもりを残していこう。




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