木曜日

記憶


北海道で2年間過ごしたことがある。

札幌から近く、江別市というところだ。

 

昭和56年頃で、市営地下鉄の東西線の

延伸工事をしていた。現在の東豊線はなく

南北線、東西線の2線だった。

 

当時は、現在よりも温暖化の影響は出ておらず、

夏の海水浴期間は2週間もなく、夏場でも暖房器具は

片づけずに冬に備えていた。夏場でも涼しかった。

 

「すすきの」は昔も今も賑やかな繁華街で、

いろいろな業種が雑多に詰め込まれていた。

 

初秋の羊蹄山へキャンプに行き、夏用のテント、

寝袋だったので、朝は霜が付くような寒さで

凍えてしまった。

 

札幌から小樽までの40キロを歩き、

車の排気ガスで真っ黒に。

 

初めての冬の北海道では、朝、玄関扉が降雪で

開かず、窓から出入りした。

 

スキー場はパウダースノーで、サラサラで転倒しても

濡れないので地元の子はジーンズで滑っていた。

 

20代の記憶はますます断片的になる。


当時は今のように携帯やスマホもなく、

フィルム写真を撮る習慣もなかった。

 

心地よいものも、不快なものも、一緒くたになって

当時の「記録」は、頭の中の淡い「記憶」だけだ。

 

平成以降、令和の子供たちは、生活の中に

「写真」「動画」が入り込み、

彼らが老人になっても、「記憶」は鮮明な

「写真」「動画」と共に残されるのだろう。


過ぎ去ったものや、忘れられたものへの

甘い記憶や恋慕などのあやふやな記憶はなく、

時々の写真、動画を見直すことで、客観的に過去を

振り返るのは、どんな気持ちになるのだろうか。




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火曜日

匂い

 

和歌山出身のK店長は、元大工。

煙草の本数はかなりだが、酒は飲まず、

口数の少ない寡黙な男だ。

綺麗な年上の奥さんも一緒にカウンター係

として働いている。

奥さんとは色々訳あって一緒になったようだが、

詳細は聞かない。店長からも話はしない。


真面目な男だ。ギャンブルもしないし、

派手な遊びもしない。

在職も長く、過去に社内旅行や、食事会参加時には

何度も機会があったが、彼は一緒に風呂やサウナに

入ったことがなかった。

身体から墨の匂いがする。

全身に昇り龍の刺青が入っている。

暴走族上がりで、どこかの組の幹部だった、等。

尾ひれがついて噂が大きくなる。


事実、誰も彼の裸を見たことがなかった。


と言って話題には面白がって上がるが、

誰も聞かなかったし、確認もしなかった。

謎は謎のままで、が社内の安定した空気だ。

なんでも面白がって話題を作って

法螺話にしてしまうだけだ。

 

事実は、極度の潔癖症で

共同風呂やサウナが嫌いなだけだ。

大工時代にちょっといたずら書きを入れただけで

全身から墨の匂いを発するような刺青もなく、

暴走族出身の組の幹部でもなく、見た通りの

「真面目で寡黙な男」だけの事だ。

 

でも、いつも木刀を隠し忍ばせていたけどね。




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月曜日


「あっ!5百円落ちている」

「もうけっ!」

グリーン上の5百円硬貨を拾いあげ、

O課長が喜んでいる。

 

「あほ!わしのマーカーや!」

 

ゴルフボールのマーカー(印しるし)として、

常務はいつも5百円硬貨を使用している。

 

おっちょこちょいな男だが、憎めない。

いつもバカ話をして皆を笑わせている。

ほとんどがホラ話だが。

口が達者で話し出すと止まらない。

舞台上の漫談師のようだ。

 

仕事は少し乱雑だが手が早い。釘調整も達者だ。

入社は私より5年以上早い。

店の中の従業員の出来事、噂、あることないこと

なんでも面白おかしく話すので、

営業部のムードメーカーだった。

 

彼は一般募集から入社し、早々に目をつけられて

役職者に登用され、割と早い段階で、

本店の店長も経験していた。

 

昭和の終わりから平成にかけては店舗数も

どんどん増え、人材不足のために一般募集で入っても、

やる気さえあれば、すぐに登用された。


中途入社で、特別のスキルがあるわけでもなく、

目先が利いて(業界では気が走る、気が回る)、

根性があれば(滅私奉公)、チャンスを掴めた。

良い時代だった。


しかし、彼も社内で、それなりの年数がたつと、

会社はそれまでの実績など関係なく、毎年入社してくる

幹部候補生のために、古株は順番に肩を叩かれる。


パチンコ業界的には40才くらいが一区切りか。


新卒で入社して7~8年で一人前なら、

30才前後で店舗長に。

それから伸びる人材は営業部で、10年ほど部課長で

勤務し、次に下から上がってくる人材と入れ替わる。


会社(経営者)は常に新しい人材に囲まれ刷新できる。

働く方は「駒」だ。


営業部のムードメーカーも私同様、40才前後で

会社から放逐され、同じ業界で管理者として横滑り

できたが、あまり長くはなかった。


新しいところは、店舗数も少なく、

経営陣に問題があり(借入が多過ぎた)、最後は

良からぬ不正の噂も出て以降、消息不明となった。

 

私のパチンコ業界歴35年間で、現在も付き合いや

消息が分かっている人物は2名だけで、

あとの方は全て業界では消息不明となった。

まあ、普通の仕事に転職しただけだろうがね。




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