月曜日

ホールスタッフ


昔は、ホール社員は男性。女性社員はカウンター係。

と普通に求人募集も打っていたし、

勤怠管理では疑問もなく分けていた。

 

ある時期から慢性的な人手不足のため、

女性スタッフもホールを手伝うようになった。

 

玉箱の運搬は小型台車を活用できるし、

最近は女子のほうが体力、腕力が

軟弱男子よりもある様だ。

3~4個平気で抱えて運搬する子もいるが、

腰痛には要注意だ。

 

トラブル処理も機械の進化で簡単になり、

少々の機械音痴でも大丈夫だ。

当りも柔らかいこともあり、今では分け隔てなく、

というより女子スタッフ中心に人員が

配置されているのではないか。

 

小泉内閣で派遣法が改正されてから非正規社員が増え、

ホールスタッフの大半が派遣社員のような状況だったが、

ここ数年は、より人手不足で派遣会社も

商品がない状態(登録社員がいない状態)が続き、

ホール側も派遣会社に上乗せで支払う分も考慮し、

時間給を上げて直でパートを雇用する方向へ

変わってきているのでないか。

 

派遣労働と聞き触りは良いが、もともとは人夫貸しで、

紹介料や雇用の確保などと口実をつけてはいるが、

他人が働いた給料から経費と称してピンハネしていく形態を、

国家が後押しして進めていくのだから、ひどい国だね。

「失われた30年」のスタートは、平成元年からの

「消費税」から始まっているのだから、国民から

搾取する国家、今の政党をほぼ独裁状態で支持している

日本人は本当に「お人よし」ばかりだ。




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土曜日

椅子


パチンコの椅子も一般の家具同様、

価格によって座り心地はちがう。

今は高さを調整できる昇降式の椅子や、

ひじ掛け付もあり、かなり楽に座れる。

昔のパチンコは椅子のない時代もあったようだ。

立ちながら遊べば長時間は疲れるだろうね。

 

私が最初に入ったホールの椅子は固定式ではなく、

キャスターがついている移動式の椅子だった。


次に固定式になったが、座面が薄くお尻が痛くなる

椅子も多かった。


通路幅が狭いホールも多く、幅が1900ほどで

2メートルもなく、そうなれば椅子の固定位置が、

天板に膝が当たるほど狭く、

後ろに違う客が座ればスタッフが通るたびに

背中にあたっていく。


足も満足に組めず、かなり煩わしかった。

スタッフはカニ歩きだが、大柄な遊技客が

両方に座れば、体格の良いスタッフは、

通路を通るのが、かなりきびしい。

 

「忙しいブタ島にはブタは入れない」などと

冗談を言っていた。

 

今は通路幅、椅子の横幅、ともに広く取る

ホールも多くなり、印象は大きく変わった。


究極は、お客さんには体格差があるので、

昇降ができ、前後に移動もできる椅子が

一番、楽なのではないか。




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賄い制度


私がいた会社では、平成の中頃くらいまでは、

社内では賄い制度が残っていた。

昔はパチンコ店の社員定着の一因として

「賄いの飯がうまいこと」が重要案件だった。

 

賄い係を社員として採用していた時期もあったし、

後半はパートで運営していた。

ヨシケイやコープで食材を配達してもらい、

それなりの栄養管理の上でメニューを決め、配膳していた。

田舎のホールでは2~3日に1回買い出しに行っていた。

 

今は各法人が社員の食事をどう捉えているのか、

他社のことはわからないが、私のいた会社ではある時期に

オーナーから経費削減として、賄い制度の廃止を告げられた。

 

その前より入寮者が減り、通勤者が多くなったこと、

また、従業者が若年化し、食事の好き嫌いが多く、

好んで賄い飯を食さなくなったことも理由になる。

 

入寮者も各自で食事を準備するようになった。

近隣で食材を買えれば良いが、大半の社員は

コンビニ弁当で好きなものばかり食べているようだ。

社員の健康管理の面や福利厚生を考えれば、

賄い制度は、私個人は必要だと思っていたが、現実は厳しい。

 

賄いのおばちゃんとの世間話。

社員とご飯を食べながらの雑談。

もう同じ屋根の下で同じ釜の飯を食うことが

なくなったのは寂しい限りだ。




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