月曜日

源さん


1996年(平成8年)に登場した三洋の

「CR大工の源さん」は爆裂CR機種で

/3確変、2回ループのフルスペック機種だ。

 

確変終了後、100回の時短もついて、出だすと

連チャンが凄かった。設定が段階あったが、

担当店では全台同じ設定で固定化していた。

 

今も何度も焼き直され、いろいろなスペックで

再販されているが、やはり初期のスペックの印象が

ずっと後発機にも影響し、生き残って来たのだろう。

 

ある日、私が所属した会社の系列店の近隣で

当時の暴力団同士の抗争事件があり、

拳銃発砲による殺人事件があった。

 

殺害された被害者はCR大工の源さんコーナーで

遊技中、後ろから後頭部へ発砲され即死だった。

 

その瞬間、パチンコ店内の喧騒の中、発砲後も

周辺客はハンドルから手を放すことなく

遊技していたらしい。

現実感がなく呆けに取られていたのだろう。

 

撃った犯人は駆けつけた店員に銃口を向けながら逃走。

そのあとは、警察の検証もあり、さすがに閉店したが、

翌日は平常通りに営業した。

大工の源さんコーナーは、閑散としていたらしい。

 

両隣で打っていた遊技客の話では、銃撃された遊技台は、

源さんの「全回転リーチ」がかかっていたらしい。

 

撃たれた客が遊技台に倒れ込みながら、

薄れゆく意識の中で、大当たりを認識していたか

どうかは定かではない。

 

この店舗、後日にも駐車場に放置された車の

トランクから死体が発見された。

 

怖ろしい。

うちの店でなくて良かったと、心から思った。




写真素材 cg.foto


1993年(平成年)ごろ、当時借りて

いたマンションの近くにパチンコ屋があり、

遊びに来ていた親父と二人で千円ずつ、

冷やかし半分で打ちに行った。

 

ニューギンの「エキサイトジャック2」と

いう機種で、1/223の確率の保留玉

連チャン機だ。

 

二人並んで座り、千円ずつ投入。

私は回目の回転ですぐリーチがかかり、

すんなり大当たりとなった。

 

引きが良いのか当時は結構1~2回転で、

かかることもあり、百円で一発機を当てる

こともあった。

 

結果、1万円ちょっとのプラスになったので、

親父に1万円を小遣いで渡し、駅前で別れた。

 

2時間後、親父がまた来た。

1万円すったので、また貸してほしいとの事。

 

当時は田舎でのパチンコ店を辞め、妻が出産のため

市内へ引っ越してきたばかりで、金銭の余裕がなく、

私は強い口調で怒ってしまった。

その時の怒りを覚えながら目を伏せた父親が

そのあと不憫に思い、その後はけっこうな頻度で

小遣いを渡してしまった。

 

博打を打つ人間には、1万も10万も100万円も

一緒で、負ければ、すぐなくなってしまう。

「すっからかん」になり、よく車をかたにして

帰ってきていた。

 

享年69だったが、知人兄弟の中では、わが父は

嫁子供を持つような男ではなかったらしい。

若いときに簡単に商売で大金を掴んでしまい、

その後、放蕩癖がついてしまったようだ。


晩年、癌を発症し、親から継いだ会社を破産させ

ながらも、長男(兄)の援助のおかげで乞食に

ならなかった。それはそれで運が良いのだろう。

 

父親が死んだ年に近づいている。

少ないながら私は知人や子供たちにどう思われて

いるのだろう。

父同様、自分は情けが薄いのは自覚している。

今さら包容力のある、人情深い、

誠実な初老の男を演じることもできない。

 

今まで通り生きていくだけだね。




写真素材 pro.foto

木曜日


長女は2021年4月に男の子を。

次女は同年5月に女の子を出産した。

還暦の年に二人の孫が生まれ、じいさんになった。

自分への責任がない分、初孫は可愛いというが、

当初は、自分の子の時のほうが、数倍可愛く思え、

まだ自ら動けぬ赤ちゃんは他人のように感じた。

 

だが、会うたびに二人の成長が見えるようになり、

乳児から幼児に成長していくと、それぞれの個性が

はっきりし出してくる可愛さで、興味深い。

 

自分も経験したことだが、子育ては大変だ。

いきなり暴君が現れ、平凡な生活に嵐を呼び込む。

 

あれから30年も経過し、当時の心境をすっかり

忘れていたが、孫の出現で思い出した。

 

たまに会う分には大歓迎だが、頻繁だと微妙だ。

いうことを聞かない。

話が通じない。

ご機嫌を取らないと、寄ってこない。

 

今後の彼らとの交渉には歩み寄りが必要だ。

高度な外交力と体力が求められる。

がんばろう。



写真素材 pro.foto

人気の投稿