月曜日

予感


昨日、走行中から見るパチンコ「マルハン」は

久しぶりに駐車場が満杯だった。

コロナ以降、その前後に近隣で大型店が出来てから

そこの「マルハン」は苦戦していた。

 

処女開店当初から数年間は、地域一番店になり、

全国に多数あるマルハン系列店のなかでも、上位に

位置する稼働、客入りだったと業者経由で聞いていた。

 

遊技組合の支部会議などで、開店時よりそこの店長とも

何度か雑談を交わしたが、新卒より6年程でマネージャー

となり、2年間隔で移動転勤も多く経験する社内では

昇進組の一人のようだ。

 

「マルハン」は私が業界に入ったころは神戸周辺で

数軒もつ関西のローカル店だった。

 

一時期、ボーリングブームに乗って多角経営に乗り出し、

苦境に陥ったホールも多かったが、マルハンもそうだった

と聞く。パチンコ営業では関西から、静岡地区出店以降、

一気に拡大して苦境から脱出し、いまの全国多店舗経営の

礎になったようだ。

 

許認可営業であるパチンコ店は、さまざまな法規制の

縛りのなかで同じ許可基準で、遊技設備や遊技機は、

同じ機械を使い、同じ交換率で同じように営業している。

 

もともとは地方で2~3軒だった会社が

今も2~3軒と今や300軒の差。

 

どの業者も同じ土俵で同じようにスタートしたのに、

この差はエグいね。

 

まさか、一法人、同一経営者が

300店、400店(ダイナム)も持つとは。

 

業界に入った35年前の時は夢にも思わなかった。

こんなに大きくなると、パチンコ店はなくならないね。

コロナで減った客も、また、戻りそうな・・・予感。




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改心


私は30才から管理職の立場で仕事をしてきた

関係か、いつも家族から外では

「態度がデカく、横柄でエラそうにしている」

と非難される。

 

ものの言い方や、人と接するときに知らず

知らずのうちに上から目線で接しているようだ。

自分ではそういう自覚もなかった。

それなりに年を重ねて、まわりは年下ばかり。

敬語を使うことも少ない。

 

別れるときは「ご苦労さん」

お願いするときは「頼むで」

相槌は「そうやな」

 

です、ますが、確かに不足している。

これは改めなければいけない。

 

これまでの人生では、舐められないように

虚勢を張って生きてきた。

目を配り、事前に予防線を張って、用心深く、

足元をすくわれないように気を張っていた。

パチンコ屋を辞めたので、

もうそんな必要もないわけだ。


 孔子曰く、60才は「耳順」だ。

まわりの意見を素直に受け入れよう。


嫌われる老人にはなりたくない。

ご令嬢から

「可愛らしいおじい様ね」と言われたい。




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源さん


1996年(平成8年)に登場した三洋の

「CR大工の源さん」は爆裂CR機種で

/3確変、2回ループのフルスペック機種だ。

 

確変終了後、100回の時短もついて、出だすと

連チャンが凄かった。設定が段階あったが、

担当店では全台同じ設定で固定化していた。

 

今も何度も焼き直され、いろいろなスペックで

再販されているが、やはり初期のスペックの印象が

ずっと後発機にも影響し、生き残って来たのだろう。

 

ある日、私が所属した会社の系列店の近隣で

当時の暴力団同士の抗争事件があり、

拳銃発砲による殺人事件があった。

 

殺害された被害者はCR大工の源さんコーナーで

遊技中、後ろから後頭部へ発砲され即死だった。

 

その瞬間、パチンコ店内の喧騒の中、発砲後も

周辺客はハンドルから手を放すことなく

遊技していたらしい。

現実感がなく呆けに取られていたのだろう。

 

撃った犯人は駆けつけた店員に銃口を向けながら逃走。

そのあとは、警察の検証もあり、さすがに閉店したが、

翌日は平常通りに営業した。

大工の源さんコーナーは、閑散としていたらしい。

 

両隣で打っていた遊技客の話では、銃撃された遊技台は、

源さんの「全回転リーチ」がかかっていたらしい。

 

撃たれた客が遊技台に倒れ込みながら、

薄れゆく意識の中で、大当たりを認識していたか

どうかは定かではない。

 

この店舗、後日にも駐車場に放置された車の

トランクから死体が発見された。

 

怖ろしい。

うちの店でなくて良かったと、心から思った。




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